2026年8月26日、午前8時37分。

ネパール北部のラスワ郡と、中国チベット自治区が接する国境のあたりで、地面が揺れました。

その3分後、ボテコシ川に鉄砲水が来たという報告が入ったとのこと。

その朝、川沿いの村に大雨は降っていなかったと伝えられています。

それなのに、川沿いの集落も、橋も、水力発電所も、ほとんど残りませんでした。

しかも同じ川は、去年の7月にも同じ壊れ方をしています。

14か月のあいだに、二度。

その二度のあいだに何があって、何が間に合わなかったのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。

雨が降っていない朝に来た水

ボテコシ川は、中国チベット自治区からネパールへ流れ込み、下流でトリスリ川と名前を変える川です。

その流域にあたるラスワ郡とヌワコット郡で、26日の朝、水が一気に膨れ上がりました。

国境の町ティムレ、ラスワガディ、シャブルベシ。

ネパールから中国へ抜ける主要な通り道が、そのまま濁流の通り道になったかたちです。

現地の気候活動家は「村がまるごと消えた」と語ったと報じられています。

家が流されたというより、家があった場所ごと川になった、という壊れ方です。

被害の数字は、いまも動いています。

26日の時点でネパールの警察が95人の死亡を確認したと伝えられ、同じ日の夜には157人の遺体が収容されたとする報道も出ました。

行方が分からない人の数は、それを上回ります。

ネパールの観光当局は、連絡が取れない旅行者を384人と発表し、その後400人を超えたとも報じられました。

うち外国籍の人が291人から341人、インドの人だけで100人以上。

米国、英国、マレーシア、オーストラリア、オランダ、ポルトガル、南アフリカ、韓国。

警察官28人と、韓国から来ていた水力発電所の作業員8人も、まだ見つかっていないそうです。

国境の向こう側でも、中国チベット自治区シガツェ市で3人が亡くなり、265人の行方が分からなくなっていると新華社が伝えました。

ひとつの朝に、これだけの人が同じ谷の底にいたことになります。

ヤフーニュースによりますと、日本人5人と連絡が取れていないとのこと。

上流でふさがれていた一本の川

雨が降っていないのに、なぜあれだけの水が出るのか。

答えは、村から遠く離れた山の上にありました。

ボテコシ川には、国境のあたりでレンデ川という支流が合流しています。

ネパールの防災当局は、その国境沿いで氷と岩の崩落が起きたとみている、と報じられました。

山肌を削りながら落ちてきた氷と岩が、そのままレンデ川をふさいだとのこと。

流れを止められた水は、行き場をなくしてその場に溜まっていきます。

山の上に、誰も知らない湖が一つできた状態。

しかもその湖を支えていたのは、コンクリートでも岩盤でもなく、崩れたばかりの氷と土砂の山でした。

持ちこたえられるはずがありません。

決壊した瞬間、溜まっていた水が一度に谷へ落ちた——それが、あの水の正体だと考えられています。

 

氷と土砂が混ざると水は別物になる

 

ネパール洪水は14か月で二度目…同じ川で何が起きたか調べてみた 原因

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今回の水について、ネパール水文気象局で洪水予報を担当するビノッド・パラジュリはこう指摘したそうです。

「氷塊と土砂が混ざったことで破壊力が増した。清水だけなら被害の度合いは大きく違ったはずだ」

水だけが来るのなら、被害は浸かるところで止まったはず。

氷と岩と土砂が混ざった水は、浸かるのではなく削っていきます。

コンクリートを運ぶミキサー車の中身が、そのまま谷を下ってきたようなもの。

橋が流されたのではなく橋を支えていた土台ごと消える、道路が冠水したのではなく道路のあった斜面ごと無くなる、という壊れ方はここから来ています。

430メガワット分の発電能力が失われたとも伝えられていますが、これは発電所が水に濡れたという話ではありません。

発電所が建っていた土地のほうが、削られて無くなっているんです。

14か月で二度崩れた同じ場所

2025年7月8日の朝にも、同じボテコシ川でほとんど同じことが起きていました。

あのときの引き金になったのは、氷河の上にできた一つの湖です。

チベット側、国境から約35キロ上流。

標高5,150メートルの氷河の表面に水が溜まって湖になり、それが突然抜けたと結論づけられています。

抜けた水はレンデ川へ入り、ボテコシ川を下って、ネパールと中国を結ぶ友誼橋を流しました。

道路も、水力発電所の変電所も、駐車していたトラックも一緒に消えています。

ネパール側で11人が亡くなり、18人の行方が分からないまま。

中国側でも11人が流されたと伝えられました。

 

去年とことしで、水が来た道はまったく同じです。

レンデ川からボテコシ川へ、国境の町を通って下流の村へ。

違うのは、上流で何が壊れたかだけ。

去年は氷河の上の湖が抜けて、ことしは氷と岩が落ちて川をふさぎました。

つまりあの谷が「同じ壊れ方をする場所」だということは、去年の時点で分かっていたことになります。

 

去年の洪水のあと、動きが無かったわけではありません。

2025年の8月、中国とネパールの当局が、氷河湖の洪水のリスクについて国境をまたいで情報を共有することで合意したと報じられています。

チベット側で起きたことをネパールへ伝える、その第一歩でした。

ただ、そこから先が動いていません。

それを実際に動かすための正式な取り決めは、結ばれていなかったと伝えられています。

話し合いはありました。

決まっていなかったのは、誰がどこに何を置くのかという中身のほうです。

そして14か月後の朝に、その差が出てしまいました。

天気予報が教えられない洪水

災害への備えというと、多くの人が思い浮かべるのは天気予報だと思います。

雨雲が近づいてきて、雨量計の数字が上がって、川の水位が上がって、警報が出る。

大雨の災害は、この順番で来ます。

だから空を見張っていれば、「そろそろ危ない」までは先に分かるわけです。

 

ところが今回の水は、空から来ていません。

山の上に一日もかからずできて壊れたダムが、この水を作りました。

雨量計は、山の上で氷が落ちたことを教えてくれません。

ふさがれた川の裏側にどれだけ水が溜まっているかも、天気予報の外の話。

空を見張る仕組みは、空以外から来る水には何も鳴らないんです。

村の人が最後まで普通の朝を過ごしていたのは、油断していたからではありません。

知らせる仕組みが、そもそも見ていない場所で起きていたからです。

 

早期警報の装置がなかった理由

トリブバン大学工学院の災害研究センターで所長を務めるバサンタ・アディカリは、今回の洪水について「上流側からの早い段階の警告はなかった」と語ったと報じられています。

監視する仕組みが置かれていなかったので、当局には人々を守るすべがなかった、という指摘です。

川に水位計を置いて、異常な上がり方をしたらサイレンを鳴らす。

技術としては、それほど難しい話ではありません。

ただ、その水位計を置くべき場所は、国境の向こう側の、標高5,000メートルを超える氷河のふもとです。

誰の国が、誰の予算で、誰が保守するのか——そこが決まらないと、装置は一つも置けません。

去年の合意が「情報を共有しましょう」のところで止まっていた理由も、たぶんここにあります。

 

見ている場所が違うと何が起きるか、それがそのまま出た例が今回もありました。

米地質調査所は26日の朝、現地時間8時37分にマグニチュード4.4の地震を記録しています。

当初は、この地震が崩落の引き金になったと受け取られました。

ところが同機関はのちに、あの揺れは地震ではなかったと説明を改めたと報じられています。

揺れの正体は、崩れ落ちた氷と岩そのものが起こした揺れでした。

マグニチュード5.2の地震に相当する規模だったといいます。

地震が山を崩したのではなく、山が崩れたことが地震として記録されたわけです。

それだけの質量が、一度に落ちたということ。

一方でネパール政府は国会で、地震が8時37分、鉄砲水の報告がその3分後の8時40分だったと説明していて、こちらはまだ確認が必要だとしています。

400人が谷底の道にいた理由

今回の被害をここまで大きくしたものが、もう一つ。

あの朝、あの谷を通っていた人の多さ。

連絡が取れなくなった旅行者の多くは、カイラス山とマナサロワル湖を目指す巡礼の人たちだと伝えられています。

ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、ボン教。

いくつもの宗教が聖地としてきた場所が、チベット側にあります。

そこへネパール側から陸路で入るとき、必ず通るのがラスワガディの国境なんです。

そして同じ道が、ネパールと中国を結ぶ物流の幹線でもあります。

トラックが行き交い、国境の市場が立ち、水力発電所が並ぶ。

巡礼の道と、交易の道と、電気を作る場所が、同じ一本の谷底に重なっていたということになります。

ヒマラヤの山あいで、車が通れて、国境を越えられて、人が住める平らな土地は、川が削った谷の底しかありません。

いちばん便利な場所と、いちばん水が通る場所が同じ——そこが、この地域のいちばん苦しいところだと思います。

今年もカイラス巡礼の陸路として使われていて、ちょうどその季節のただ中でした。

 

捜索は、いまも続いています。

原因の調べのほうも、始まったばかりです。

崩れたのがネパール側の氷河だったのか、中国側だったのか、そこもまだ確かめられていません。

周辺で降った大雨が関係している可能性も、並行して調べられているとのこと。

在ラサのネパール総領事は、中国側も原因が分かっていないと話したと報じられました。

国境の警備にあたっていた人たちとも通信が途絶えていて、上流を見ていた人の話が、まだ十分に集まっていません。

そこが出てくるまでは、外から見えているものだけで結論を決めてしまわないほうがよさそうです。

 

ただ、去年の7月から今年の8月までの14か月に、あの谷へ何を届けられたのか。

そこだけは、原因がどちらの側だったとしても変わらない一点。

こうして順番に並べていくと、間に合わせられたはずのものがいくつも見えてきて、胸が重くなりました。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。