2026年9月2日の午前、2022年の安倍晋三元首相の銃撃事件が映画になるという記事が、Xに流れました。

しかも、撃った山上徹也被告の役に、俳優の菅田将暉さんの名前が挙がっている、と。

そこからの1週間、並んだ言葉はほとんどが「やめてくれ」でした。

「まだ裁判が終わってないんだぞ」

「テロリストに名前を与えるな」

「菅田将暉は辞退したほうがいい」

そのうちに、しんぶん赤旗の紙面まで持ち出して、菅田さん自身の思想を疑う声も出てきました。

 

そして2026年9月9日の夜、映画化の企画はもう中止する方針になっていたという女性セブンの続報が、回りはじめます。

しかも止まったのは、その記事が世に出るより前。

さらに2026年9月15日には、消えた脚本の中身を書いた記事まで出てきました。

菅田さんの出演も、もともと決まっていなかったそうなんです。

感情的になっているだけだ、と片づける声も見かけました。

でも、並んだ言葉を追っていくと、怒っている人ほど筋が通っているんです。


東スポが報じる前に止まっていた企画

出どころは、2026年9月2日に東スポWEBが出した1本の記事でした。

映像化は半ばタブー視されてきたけれど極秘プロジェクトとして進行中である、という書き出しから始まります。

映画界の有名監督が「後世に残さなければならない」と動き出したのだそうです。

今秋にもクランクイン予定で、描かれるのは事件の前後から逮捕、勾留、裁判に臨むまで。

 

ただ、この映画に関わる人で名前が出ているのは、菅田将暉さんだけなのです。

監督は「映画界の有名監督」としか書かれていません。

談話を寄せているのも「制作会社ディレクター」「映画関係者」「芸能プロ関係者」で、全員が匿名でした。

菅田さんについても、記事の書き方は「務めるとの情報をキャッチした」です。

決まった、とは書いていません。

ところが1週間後、話がひっくり返ります。

2026年9月9日の夜から回りはじめた女性セブン(2026年9月24日号)が書いていたのは、企画はすでに中止する方針になっていたということでした。

しかも方針が決まったのは、東スポが報じるより前だったといいます。

話が持ち上がったのはNetflixの中で、事件をそのまま描くのではなく「実話を基にしたフィクション」にする予定だったそうです。

止まった理由として挙げられていたのは、2つ。

安倍元首相には遺族がいること。

エンタメ作品として世に出すには、ハードルが高いこと。

この続報で話しているのも匿名の映画関係者で、東スポの記事と出どころの種類は同じです。

それでも、別々の媒体が別々の関係者から聞いた話で、この企画が実際にあったことだけは重なっています。

 

のちに出た話では、企画は2026年7月の時点で、老舗のキャスティング会社を通じて出演者の選定まで進んでいたそうです。

反応をうかがう段階どころか、もう人を集めるところまで来ていたことになります。

それが、報じられる前に止まっていたわけです。


山上被告の裁判はまだ終わっていない

反発の中でいちばん多かったのが、この一行でした。

「まだ裁判が終わってないんだぞ」

経済学者の飯田泰之さんも、同じところを突いていました。

初公判が開かれたのは2025年10月28日。

被告は「全て事実です。間違いありません」と述べて殺人罪を認め、争点は量刑だけになります。

そして2026年1月21日、奈良地裁は検察の求刑どおり無期懲役の判決を言い渡しました。

弁護側は生い立ちを理由に減刑を求めましたが、裁判所はそれが殺害の決意に大きく影響したとはいえないと判断しています。

その後、2026年2月に弁護側が控訴したので、いま舞台は大阪高裁へ移っていて、決着はついていません。

 

一審の判断は、もう出ています。

けれど、その判断そのものが、いままさに争われている途中でもあって。

つまり、いま映画を作るということは、まだ法廷で結論の出ていない事件について、先に「こういう話だった」という形を世に出すことになります。

しかも東スポの記事によれば、描かれるのは「裁判に臨むまで」。

控訴審の行方は、当然まだ入っていません。

「終わってから作れ」という声は、正義感の空回りではないでしょう。

順番の話をしているだけで。


嫌がられたのは中身より名前を与えること

反対の声を「表現の自由がわかっていない」と切り捨てる人もいます。

でも、実際に流れている言葉を読むと、そういう話ではないことがわかります。

たとえばこの投稿は、違和感の中身を3つに分けて書いていました。

①脇役ではなく人気俳優を当てることで、その役に価値を持たせようとしていること。

②裁判がまだ終わっていないこと。

③遺族も、友人も、周りの人も、まだ生きていること。

実在の事件を作品にすること自体は、否定していません。

大河ドラマの例まで自分で挙げたうえで、なぜこの事件で犯人側にフォーカスするのか、と聞いています。

 

この「美化されるのではないか」という心配は、思いつきで出てきたものではありません。

同じ東スポの記事には、旧統一教会の報道を追い続けているジャーナリストの鈴木エイトさんのコメントも載っています。

鈴木さんは、山上被告と複数回、面会している人です。

「動機は旧統一教会への復讐心だけでなく、複合的。安倍元首相に対する個人的な感情やヒロイズムもある」

それを本人に会っている人が言っているわけですね。

鈴木さんも「事件のどこをどう切り取るか。それによって印象は変わると思う」と話していました。

やめてくれと言っている人たちが引っかかっていたのも、まさにその切り取り方です。

 

繰り返し出てきたのが、ニュージーランドの話でした。

2019年のクライストチャーチ銃乱射事件のあと、当時のアーダーン首相は議会で「あの男の名前は、決して口にしません」と述べています。

犯人の名前を有名にすると、次に続く人間が出てしまう。

模倣を防ぐために、報道の側でも犯人の名前を大きく扱わない国は実際にあります。

今回の反発を「感情論」と呼ぶのは、たぶん当たっていません。

そこへ、日本でいちばん顔の知られた俳優のひとりが、その役をやるかもしれないという話が来ました。

怒りの矛先が作品の出来ではなくキャスティングそのものへ向いたのは、そういう理由だと思います。

 

この鈴木さんは、1週間後の続報にも出てきました。

映画化の報道を山上被告本人に伝えたところ、ほとんど反応はなく、ただ「事実に沿ったものなのか」という懸念だけがあったそうです。

山上被告は、2026年の春に出た読売新聞取材班のルポ『絶望の凶弾』についても「かなり事実関係が違う」と指摘していたといいます。

東スポの記事では、その本が今回の映画の原作ではないかとも書かれていました。

描かれる予定だった本人にまで、そう言われてしまっていて。


4年前に劇場で止まった上映

この事件、すでに一度映画になっているのです。

2022年9月に上映された『REVOLUTION+1』という作品でした。

足立正生監督が、山上被告をモデルにした人物を主人公にして撮ったフィクションです。

上映が始まったのは、安倍元首相の国葬に合わせて。

しかも、まだ起訴もされていない時期でした。

 

そのときも、いまとほとんど同じ言葉が飛び交います。

テロを美化するのか、という抗議が劇場に殺到し、鹿児島市の映画館は「抗議が入り、お客様の安全を第一に」と上映の中止を決めました。

一方で、中止したことのほうを「表現の自由への圧力だ」と批判する声も上がりました。

結局あのときも、世論はきれいに真っ二つでした。

 

ただ、『REVOLUTION+1』を上映したのは、全国のシネコンではなく小さなミニシアターが中心です。

あの騒ぎが大きくならずに済んだのは、届く範囲がそこまでだったからでしょう。

ところが今回は、話の大きさがまるで違うのです。

東スポの記事には、『国宝』の名前が出てきます。

吉沢亮さんが主演し李相日さんが監督した作品で、2025年11月に興行収入173.7億円を超え、実写の邦画としては22年ぶりに歴代1位を更新しました。

その『国宝』と関係の深い会社が、今回の映画にも関わっているとのこと。

ミニシアターで始まった4年前とは、そもそも狙っている場所が違います。

 

そしてもう一点、今回の企画があったのは映画館ではなくNetflixの中です。

『REVOLUTION+1』は映画館で上映されたので、抗議は劇場へ行き、鹿児島の映画館は上映をやめることができました。

やめさせる力を持っていたのは、観客と映画館です。

配信には、映画館がありません。

電話をかける先も、貼り紙が出る窓口もないのです。

 

Netflixが配信しているのは190を超える国と地域で、出るときは、日本で何が言われていても同時に全部へ出ます。

「やめてくれ」と言っていた人たちが心配していたのは、作品の出来でも俳優の演技でもなく、やめてくれと言う相手が日本のどこにもいないということでした。

4年前に効いた止め方は、今回はどこにも届きません。


誰も昭恵夫人に聞いていないのではないか

もうひとつ静かに広がっていた疑問が、亡くなった安倍元首相の妻、昭恵さんのことでした。

たった一行ですが、同じことを書いている人が本当にたくさんいたのです。

「好き嫌いは置いといて、昭恵さんの心情を踏みにじる行為だと思う」

「殺された夫のことをこんなふうに扱われたら傷つくに決まってるじゃん」

 

東スポが報じた内容の中に、遺族という言葉は一度も出てきません。

監督の動機も、キャスティングの噂も、関わっている会社の話まで書かれているのに。

その企画の中で、いちばん傷つく可能性がある人の話だけが、どこにも出てこないのです。

 

実在の事件を扱う作品でいちばん揉めてきたのは、いつもここでした。

作品の質でも、思想でもなく、当事者に一言あったかどうか。

そこが抜けたまま話だけが進むと、どんなに立派な動機でも、遺された人からは「勝手に使われた」としか見えません。

そして9日の続報で企画を止めた理由の1つ目に挙げられていたのが、安倍元首相には昭恵夫人をはじめとする遺族がいるという一点でした。

ネットでいちばん静かに書かれていた一行が、そのまま止める側の理由になっていたのだと思います。


菅田将暉は出演すると決まっていなかった

今回いちばん驚いたのは、菅田さんへ向けられた言葉でした。

叩いている人より、心配している人のほうがはっきり多かったのです。

「オファーが来ても断った方が良い」

「菅田将暉さん好きだから言いたい。受ける仕事は選べって」

「誰か止めなかったんか」

言い方はきついのですが、中身はこの人を巻き込むなという話です。

 

この温度には、前の話がありました。

2023年12月、実写化される『ブラック・ジャック』の主演に決まっていた菅田さんが、価値観の違いから降りたと当時の週刊誌が伝えています。

断ったことがある人だと思われている、という一点が、今回の温度をかなり上げました。

選べる人が、選ばなかった、と読まれてしまったわけで。

東スポの記事には、匿名の芸能プロ関係者の話も載っていました。

「事件が事件だけに、映画公開後は物議を醸すことが予想されます。製作サイドはそれも承知の上で山上被告役に菅田さんを指名したそう。彼も相当な覚悟を持ってこの作品に臨むはずです」

 

菅田さん本人は、いまも何も言っていません。

あの時点では、受けたのか、断ったのか、そもそも話が来ているのかどうかも分かりませんでした。

それなのに、周りではもう「相当な覚悟を持って臨むはず」という言葉が出ていたわけです。

9日の続報にもう1行あって、本人も乗り気ではなかったようだ、というものでした。

 

そして黙っているあいだに、菅田さんの側から出ていたものもあります。

報道から5日後の2026年9月7日、長編映画の監督デビューが発表されました。

原作は、2013年の映画『共喰い』で菅田さんと出会った、亡き青山真治監督の小説『死の谷'95』。

それを自分で監督し、脚本にも入り、主演もするそうです。

撮影が始まるのは2026年10月で、東スポの記事にあった「今秋にもクランクイン」と時期がちょうど重なります。

ただ、報道からの数日で菅田さんの側が動かしていたのは、別の作品でした。

 

東スポの記事はいまも訂正されていなくて、ページの更新は2026年9月2日の午前で止まったままです。

中止を認める発表は、Netflixからも菅田さんの事務所からも出ないまま。

15日には、別の媒体がテレビ関係者の話としてこう書いています。

企画の会議で菅田さんの名前が挙がっただけなのに、本人も事務所もすぐに否定しなかったので、業界の中にまで噂が広まってしまった、と。

同じ15日に出た現代ビジネスの記事には、スポーツ紙記者の話も載っていました。

反対の声が強いのを見て、数字を稼げると判断したいくつかのサイトが後追いの記事を次々に出した、そこへ10月から撮影に入る別の映画の発表が重なって、菅田さんの出演はガセであることが判明した、と書かれています。

 

乗り気ではなかった、名前が挙がっただけ、そもそもガセだった。

話がどこまで届いていたのかは、媒体によって書き方が違います。

ただ、どれを取っても出ると決まっていた話ではなかった、というところは同じでした。

2週間ぶんの騒ぎの出どころが、決まってもいない話だったことになります。

結局、割を食ったのは名前を使われた人だけでした。


政治の話ではなかった赤旗の紙面

そして、菅田さんへ向いていたのは、心配だけではなかったのです。

菅田さん自身の思想を疑う声も、けっこうな数で回っていました。

この人はもともとそっち側の人なのではないか、と。

根拠として貼られていたのが、しんぶん赤旗の紙面の写真です。

日本共産党が出している新聞ですが、菅田さんが載ったのは2025年12月7日号の日曜版で、「ひと」という欄でした。

共産党の地方議員が、その号が入荷したという投稿で「ひと欄に俳優の菅田将暉さんが登場」と紹介しています。

写っていた紙面の見出しは「演じるとは己を信じること」で、政治の話ではなく俳優としての話でした。

赤旗に出たこと自体は、たしかにそのとおりです。

ただ、そこに書かれていたのは作品の話だったという指摘ですね。

赤旗が菅田さんを記事にしたことは、もう一度あります。

2021年10月、衆議院選挙の前に公開された、投票を呼びかける動画についての記事でした。

「自分の未来のことにもかかわってくるから」という菅田さんの言葉が引かれています。

その記事には、小栗旬さん、橋本環奈さん、ローラさん、石橋静河さんの名前も並んでいました。

俳優やミュージシャンが自分たちで作った動画で、政党や企業とは関係のないところから出てきた企画です。

 

赤旗には、政治だけでなく文化や芸能の記事も載ります。

同じように赤旗へ出たことのある人として、小泉今日子さん、渡辺えりさん、松本まりかさん、橋本愛さんの名前も並べられていました。

どの新聞の取材を受けたかで、その人が引き受ける仕事まで決まるわけではありません。

 

とはいえ、そこに引っかかる気持ちもわかります。

この企画は、誰が作るのかがどこにも書かれていませんでした。

手がかりになりそうなものが、出た媒体しかなかったんですね。

 

ただ、思想の線で説明しようとすると、いちばんはっきりしている事実のほうが見えなくなります。

その仕事を、菅田さんは受けていません。

では、作っていた側はどうだったのでしょうか。


真犯人は韓国人ヒットマンだという話

そして2026年9月15日、現代ビジネスが、その台本を実際に読んだという芸能プロ関係者の話を載せます。

銃撃事件はあくまで下敷きで、話の筋も、殺される首相役の見た目も、現実とはまったく違うものになっていたそうです。

その関係者が語った筋書きが、これでした。

「ざっくりと言えば、類を見ないほどに支持を集める現役首相を疎ましく思ったとある宗教団体が、計画的に暗殺者を差し向けるというストーリー。そして、山上被告の役どころは『真犯人の正体から目を逸らさせるための身代わり』で、真の暗殺犯は韓国人の腕利きヒットマンだった……というもの」

 

身代わり、です。

この話のとおりなら、脚本の中の山上被告は、撃った本人ですらありません。

真犯人から目を逸らさせるために置かれた役で、その関係者は役どころをスケープゴートと呼んでいました。

同じ人が、こうも言い添えています。

「確かに政治的意図は薄く、エンタメに寄せた内容と言えるかもしれませんが、荒唐無稽かつ無謀すぎる企画とも言えるでしょう」

 

監督は、国内の主要な映画賞を受けてきた実力派。

独特の映像表現で知られている人で、名前はここでも伏せられ、記事の中ではX氏とだけ書かれていました。

その名前が強かったようで、多くの俳優やプロダクションがキャスティングに名乗りを上げていたとのこと。

こちらも予定は10月クランクインで、配信の開始は2028年を目指していたそうです。

 

ただし、ここまでは全部ひとりの関係者が語ったことでした。

台本そのものが出てきたわけではありませんし、脚本の中身を裏づける別の証言も、いまのところ出ていません。

山上被告と面会を重ねてきた鈴木エイトさんも、こう書いていました。

報じている各社が、別々の企画をひとつの話として扱っているのではないか、という指摘です。

どれとどれのことなのかまでは書かれていません。

ただ、ここまでの話がぜんぶ同じ1本の映画のことだという保証も、どこにもないわけです。


中身は関係ないとは言えなくなった

ここまで反発の芯にあったのは、作品の出来ではありませんでした。

中身がどうであれ順番が違う、という話だったからです。

ところが伝えられた中身のほうも、放っておけるものではありませんでした。

一審では本人が「全て事実です。間違いありません」と述べて、無期懲役の判決が出ています。

その事件を、宗教団体が差し向けた韓国人のヒットマンが撃ったことにして、撃ったとされている本人のほうは目くらましの身代わりに置く。

 

心配されていたのは、まさに先に形が世に出るところでした。

出てきたのは、美化どころか、事件そのものを別の話にしてしまう筋書きです。

そして遺された家族から見れば、夫が撃たれた日が、そっくり別の筋書きへ作り替えられていたことになります。

いちばん最初に出ていた懸念のほうは、当たっていました。

山上被告が鈴木さんへ漏らしたという、あの一言です。

事実に沿ったものなのか。

「テロリストに名前を与えるな」と書いていた人たちの心配とは、少し違う形で。

テロリストとして描くどころか、撃った本人ですらないことにしていたのですから。

止まってよかった、という声のほうが多く見えました。

もうひとつ、この筋書きには別の向きの反発も出ています。

実在の事件の真犯人役にいきなり韓国の殺し屋を置くのは、山上被告をどう描くかという話とは別に、そこも失礼だろうという指摘です。

中身は関係ない、とは、もう誰も言えません。


嫌だと言うのは表現を潰すことではない

この手の話になると必ず出てくるのが、作る前から反対するのは表現の自由への攻撃ではないか、という言い方です。

中止まで出たので、なおさらそう言われるかもしれませんね。

止めたのは、声ではありません。

企画は、その声が上がるより前に止まっていました。

 

それに、そう言われた人たちが求めていたのも、法律で止めることではありません。

作る側に、もう一度だけ考えてほしい。

止めろ、ではなくて。

 

裁判はいまも大阪高裁で続いたまま。

撃たれた人の家族も、いまを生きています。

この2つが揃っている状態で「待ってくれ」と言うのは、まっとうな順番の話でした。

気持ちの問題でも、思想の問題でもありません。

 

作品の話は、ひとまず消えました。

ただ、裁判にも遺族にも本人にも一言ないまま名前だけが外へ出た、その順番のほうは消えていません。

作る側がそこを変えないかぎり、同じことは次もまた起きるのでしょうね。