2026年9月11日、俳優の森本レオが亡くなったと所属事務所が発表しました。

亡くなったのは発表の1週間前にあたる9月4日で、83歳、死因は原因不明の突然死だったそうです。

『きかんしゃトーマス』のナレーションで、あの声を覚えている方も多いと思います。

訃報の直後なのに、「実はとんでもない奴だった」という外道エピソードばかりが溢れかえりました

2002年と2006年に10代のころの被害を語った女優が2人、それに自宅のあった高円寺での目撃談。

どれも、訃報の直後からいっぺんに。

同じ週に訃報が出た野球解説者の張本勲のほうは、生前さんざん老害と言われていたのに、次々といい話が集まっていきました。

「この扱いの差は何なの?」と首を傾げたくなりますよね。

森本レオの噂を前から知っていた方も、今日はじめて知って驚いた方も、いま気になるのは「どこまでが本当なの?」の一点だと思います。


訃報より先に悪評のほうが届いた

事務所が出した発表の文章には、とても穏やかな顔で旅立ったと書かれていました。

葬儀は本人と遺族の意向で家族だけで済ませていて、お別れの会などの予定もありません。

1943年2月13日に名古屋市で生まれ、日本大学芸術学部を出て、1967年にNHK名古屋のドラマでデビュー。

東海ラジオ『ミッドナイト東海』のDJを経て東京へ。

『黄色い涙』『王様のレストラン』『ショムニ』『ロングバケーション』——出演作だけを見れば、穏やかな経歴です。

ところが、タイムラインは追悼一色になりませんでした。

「えっ、亡くなったの?」より先に悪口が流れてきたという人が続出しました。

こんな順番で知られる有名人は、そう多くないはずです。

しかも、翌日になっても止まりませんでした。

女性関係の噂を前から知っていた人ですら、出てくる量のほうに驚いています


張本勲のほうにはいい話ばかりが集まった

この週は訃報が続いた週で、張本勲が亡くなったのが2026年9月9日、86歳。

亡くなった順でいえば、森本レオのほうが5日早い9月4日です。

日曜朝の番組で選手に厳しいダメ出しを繰り返していた名物解説者で、存命のうちは、ネットで老害と書かれることも珍しくありませんでした。

ところが亡くなったあとに流れてきたのは、生い立ちの話や、現役時代に後輩へ何をしていたかという心温まるほうのエピソードばかり。

世間のイメージは穏やかで優しい人だったのに、亡くなったとたんに掘り起こされたのは悪い話ばかり

この並びを見て、さすがに鞭打ちすぎではないかと感じた人もいました。

嫌われていた人でも、亡くなったあとには「表はあんな人でしたが実は」がつくものです。

その「実は」の先が、1つも良い話にならなかった

ただ、流れている話の一部は、24年前に雑誌の誌面で、名前と顔を出して語られたものでした。

ネットの噂だけ、ではないんです。


本人は「異文化交流みたいなもの」と答えた

2002年4月、『女性セブン』が当時59歳の森本レオと28歳の画家志望の女性の同棲を報じます。

森本レオには1971年に結婚した妻がいて、このときすでに別居の状態。

問題になったのは、報道を受けた会見での本人の答え方です。

妻がいながら別の女性と暮らしていることについて、男女の関係は異文化交流みたいなもの、という言い方をしました。

謝罪の言葉もなく、何が悪いのかと開き直っているように聞こえたのです。

 

この一言で、世間の空気が変わります。

穏やかな語り口の人が、まったく悪びれないことを同じ調子で言った

そう受け取られたことで、それまで表に出ていなかった話が次々と掘り返されます。

それでも、この会見のあとに仕事が減ることはありませんでした。

この会見の前後には、ワイドショーの突撃取材を受けている場面も流れています。

トーマスの声しか知らなかった人ほど、この映像に驚いたようです。

あの会見に出ていくかどうか、本人が迷っていたことが訃報のあとで明かされました。

放送作家の山田美保子によると、当時ナレーションの録音でスタジオに入っていた森本レオから、マスコミ対応をするかどうかの相談の電話がかかってきたそうです。

外には芸能記者とワイドショーのカメラが待ち構えていました。

山田美保子の答えは、対応すべき、ご自分の言葉で答えるべき。

そして本人は、籠城していたスタジオから出てきて声かけに応じています。

あの「異文化交流」は、追い詰められて口をついた言葉ではありませんでした。

出ていくと決めたうえで、自分で選んだ言い方だったわけです。

 

しかも、この言い方を最後まで変えていません。

2024年9月、81歳のときのインタビューでこう話しています。

今も、男と女は異文化交流だと思っていますよ、と。

2002年から22年たっても、同じ言葉です。


別居50年のまま籍だけが残っていた

この別居は、そのあとも解消されませんでした。

挙式は1971年5月10日、金沢市の教会。

相手は元女優です。

 

亡くなる2日前の2026年9月2日には、東京・高円寺のマンションで一人暮らしをしていることが報じられていました。

亡くなった時点で、名古屋の妻との別居は50年ほど

結婚から数年で、別々に暮らしはじめた計算になります。

それでいて、籍は最後まで抜いていません

この50年について、離婚という言葉を使って説明しようとした投稿がありました。

この方は、元妻が離婚を禁じている宗教の信者で、それでも離婚できたのだからよっぽどだったのだろう、と見ています。

ただ、公開されている記録に離婚は出てきません。

亡くなった時点でも妻のままで、宗教の話もどこにも書かれていないのです。

 

離婚を許さない教えだったから、50年別居しても籍だけは動かせなかった——逆に、そうも読めるのですよね。

どちらが本当なのかは、外からは分かりません。

確かめられるのは、籍を残したまま半世紀が過ぎた、という一点だけです。


17歳だった水沢アキが週刊誌で語ったこと

告発が誌面に載ったのは、あの会見から半年後の秋でした。

女優の水沢アキが『週刊文春』の2002年10月17日号で、デビューして間もない17歳のころに森本レオから受けたという被害を語っています。

共演したドラマが終わったあとに「演技を見てあげる」と自宅へ誘われ、そこで処女を奪われた——という内容です。

家に帰ってから、血のついた下着を洗いながら泣いた、とも。

見出しは「レイプ告白」。

 

森本レオ側はこのとき、肉体関係は認めつつも、合意の上であってレイプではない、とはっきり反論しました。

この件は、裁判にも捜査にもなっていません。

水沢アキがこれを語ったのは事件から何十年もあとで、そのときにはもう、時効が過ぎたあとでした。

この件を自分で確かめ直した人もいます。

関係があったこと自体は双方が認めていて、争っているのは無理やりだったかどうかの一点だけ。

そこを混ぜて読むと、話がまるごと嘘か本当かの二択に見えてしまいます。

バラエティ番組でも同じ調子で話していた、という証言もありました。

語った女優のほうが誤解している——という言い方だったと書かれています。

17歳のときのことを、大人になってから語っているんですよね。


石原真理子が自叙伝に書いた1981年の秋

もうひとつは、2006年12月6日に発売された女優・石原真理子の自叙伝『ふぞろいな秘密』です。

この本は9人の男性の実名を挙げて恋愛遍歴を書いたもので、当時かなり話題になりました。

2人が出会ったのは1981年の夏。

デビューしたばかりの石原真理子は、所属事務所の紹介で、都内の喫茶店でチェーホフの朗読を習っていました。

当時は高校2年生で17歳だった、と本には書かれています。

やがてレッスンの場所が喫茶店からアパートへ変わり、その年の秋、水沢アキが語ったのと同じように関係を持たされた、と記されています。

以前の告発と呼び出され方が瓜二つだと、出版当時から言われていました。

芝居の稽古をつける、という名目で二人きりになる流れ。

ただ、この本にはややこしい後日談があります。

2009年8月24日放送の『SMAP×SMAP』で、石原真理子本人がこう話しているのです。

出版社から、ゴーストライターが書いたとみられる原稿が送られてきた。

そこには交際した男性の実名が並んでいて、直してほしいと伝えたのに、時間がないと言われてそのまま世に出た——と。

出版社はこの話を全面的に否定していて、いまも食い違ったままです。

それでも、この本が出たころの石原真理子を覚えている人は、別の見方をしています。

のちにプッツン女優と呼ばれるようになったのは、この件があったからではないか——そう見ている人もいました。


2007年に2ちゃんねるでスレッドが立った

今回はじめて知ったという声がとても多いのですが、昔から掲示板を見ていた人にとっては、ずいぶん前から回っていた話です。

2007年4月21日、2ちゃんねるに『【黄色い涙】保倉幸恵、身元不明火葬【森本レオ】』というスレッドが立っています。

石原真理子の本が出た数か月後のこと。

 

Yahoo!知恵袋にも、何年も前に投稿された質問がそのまま残っています。

森本レオさんって何かしでかしたんですか、いろんな裏サイトで被害者募集の書き込みを見かけるのですが——という内容のものです。

ニコニコ大百科の項目にも、短気で粗暴だという噂が絶えなかった、と書かれています。

ネットに詳しい人たちの間では、裏の顔の悪評がとうに定着していたわけです。

全部が事実とはかぎらない。

それでも、これだけの人に嫌われていた。

そういう受け止め方をしている人もいます。

逆に、ここでずっと引っかかっていた人もいました。

あのスレッドが立ってから19年、噂だけが更新されないまま残っていたわけです。

ただ、掲示板に並んでいたのは女性関係の話ばかりではありませんでした。

店で怒鳴られた、酔って絡まれたという書き込みが、同じだけ積み上がっていたのです。


1975年に亡くなった共演者の噂だけは別物

あのスレッドのタイトルにあった保倉幸恵という名前。

ほかの話とは、重さが違います。

ただしこの1件だけは、確かめられていることが極端に少ないまま

 

1974年のNHKドラマ『黄色い涙』でヒロインを演じたのが、モデルで女優の保倉幸恵(ほくら・さちえ)でした。

主演は森本レオ。

いま残っている記録によると、保倉幸恵は翌1975年7月8日、東京で線路に飛び込んで亡くなっています。

まだ22歳。

Xでは、この死に森本レオが関わっていたのではないか、という噂が今回も回っています。

ただ、いまWikipediaなどに残っている記述では、理由は別のものになっています。

休業していた時期に母親が重い病気になり、精神的に追い詰められていた、という内容。

森本レオと結びつける記述は、当時の新聞の見出しにも、いま公開されている経歴の記録にも見当たりません。

スレッドのタイトルにあった「身元不明火葬」が何を指すのかは、どこにも書かれていないままです。

この人について書いてきた人からは、こんな声も出ています。

訃報のたびに名前が引き出されることを、哀しすぎる、見世物にしないでほしい、と。

水沢アキと石原真理子の話は、どちらも本人が名前を出して語り、森本レオの側も答えを返しています。

中身に争いはあっても、誰が何を言ったかまでは分かっているのです。

この件には、そうした確かな証言が一切見当たりません。

今回も、そこで踏みとどまっている人がいます。

森本レオをどう思うかとは別に、この1件だけは憶測の上の憶測だ——そう書いていました。

亡くなった人は何も言い返せないので、面白半分の尾ひれがいくらでもついてしまう。

だからこそ、名前を出して語られた話まで「どうせネットの噂でしょう」で片付けられてしまうのは、いちばん困ることだと思うのです。

噂と証言を同じ棚に置いていい理由は、ありませんよね。


高円寺で検索しろと書いた人がいた

今回の訃報ではじめて出てきたのは、24年前からある話ではなく、街で見かけた人たちの証言でした。

訃報が出た9月11日の夜から、何十年も普段着で歩いていた地元の高円寺で見かけた、という投稿がぽつぽつ出はじめます。

それが一気に束になったのは翌9月12日の夜で、回りはじめたのは、森本レオと高円寺の2語で検索してみろ、という投稿でした。

これが回ってから、高円寺で暮らしていた人や働いていた人が、次々と自分の見たものを書き足していきます。

新聞の追悼記事と違って、街の住人による生々しい証言です。

どんな風変わりな住人でも受け入れる、懐の深い中央線の街です。

その街から、これだけの悪評。

「そういえば昔見かけたな」と過去の記憶を呼び起こす人が続出しました。

そっくりさんだと思っていたけれど、あれは本人だったのかもしれない、と。


高円寺の店で怒鳴られた話が続いた

多いのは、飲食店で働いていた人の話。

話の元になった1本が出たのは、じつは検索の投稿より前、訃報が出た当日の9月11日の夜でした。

学生時代に高円寺の中華屋でアルバイトをしていた人の話です。

若い女性を連れて食べに来た森本レオの注文が聞き取れず、もう一度お願いできますかと聞き返したところ、「××って言ってんだろ!」と激怒されたというのです。

中華屋のこの投稿には、近くの喫茶店で働いていた人からも返信がついています。

店の外で倒れて救急車を待っている人を、携帯で勝手に撮っていた——という話です。

別の店でも、似た場面を見た人がいます。

高架下の鰻屋で、座敷から聞き覚えのある声が延々と聞こえてくるので見てみたら本人だった、取り巻きにはしゃべらせず一人で大声でしゃべり続けていた、という証言です。

ここから先は、他の人の投稿を又聞きで引いた話。

駅の周辺で昼間から酔っていて通りかかった小学生にまで怒鳴っていた、電車の中で同業者の悪口を延々と話していた——といった書き込みが並びます。

怒鳴られたわけではないけれど忘れられない、という話もありました。

10代でレジに立っていた人が、若い女性を連れた森本レオから受け取った一言です。

こうして同じ町で、同じような場面の話が、何人からも出てくる


代官山でも舌打ちを見たと書いた人がいた

目撃談は高円寺だけで止まらず、代官山で見かけたという人もいました。

ものすごい形相で煙草をくわえて歩き、建物の前に吸い殻と痰を捨て、大きな舌打ちをしながら入っていった——という話です。

ただ、この投稿はそのあと消えました。

 

撮影現場にいたという人の話も回っています。

ディレクションを担当していた人が深々と頭を下げて挨拶をしたら、返ってきたのは舌打ちだけ。

頭を下げた本人はそれ以来、挨拶はマネージャーにだけでいい、と現場で教わったそうです。

怒鳴られたり舌打ちされたりしているのは、店員、スタッフ、通りすがり。

立場が弱くて言い返せない相手ばかりだ、という指摘も出ていました。

高円寺のほうが荒っぽいから怒っていたのでは、という冗談も出ています。

ただ、目撃談に残るのは見た人の側の見方だけです。


地元の有名人なのに色紙の話が1つもない

怒鳴られた話が並ぶなかに、昔その近辺に住んでいた人が当時からずっと不思議に思っていたことを書いた、手ざわりの違う投稿がありました。

街の定食屋や居酒屋の壁に、誇らしげにサインが並んでいるのをよく見かけます。

その色紙を、一度も見かけたことがなかった

通っていた店の名前はこうして出てくるのに、サインを見たという話だけが出てこないんですよね。

珈琲貴族、七つ森、4丁目カフェ、トリアノン、上島珈琲。

街の風景の一部だったと書いていて、それでも壁の色紙の話だけは出てきません。

怒鳴られた話はどれも書いた人の記憶ですが、色紙が無いというのは、町の店が森本レオをどう扱っていたかの話です。

出どころがまるで違う話が、たまたま同じ先を指している——そこがいちばん怖いところだと思います。

ただ、こう見ている人もいました。

見かけるのが当たり前すぎて、誰も書き留めなかっただけかもしれない

色紙が無いことをどこまで重く見るかは、読む人しだいです。

ただ、町の店で1枚も見かけないというのは、やっぱり不思議ですね。


阿佐ヶ谷でも中野でも見かけられていた

怒鳴られた話が高円寺に積み上がっていくのと並行して、別の地名を書いた投稿も増えていきました

いちばん多く出てきたのが、隣の駅の阿佐ヶ谷です。

高円寺に住んでいれば一度や二度は見かけているはずだという、住民から見た当たり前の書き方。

ただ、阿佐ヶ谷から出てきた投稿は、怒鳴られた話とはずいぶん中身が違っていました。

アーケードを自転車で走っていた、とだけ書かれています。

駅前の書店で何度も見かけ、スキャンダルが報じられた少し後にもまた見かけて、なんだかほっとしたそうです。

本人が歩いていた範囲は、中央線の駅に沿ってひとつながりに広がっていたようでした。

通勤電車で空いている席に座ったら、隣が本人だったという話。

本を読んでいたのか寝ていたのか、一人だったことだけ憶えている、と書かれています。

一方、中野区では、もっと前から知られていたようです

地元が中野区だという友人から2年ほど前に聞いていた、という伝え聞きの投稿でした。

バイト先ではクレーマーとして有名だった、と書かれています。

この投稿には続きがあって、学校ではエロおやじとして超有名だったとも。

つまり、高円寺の中だけで完結する話ではありませんでした。

中野、高円寺、阿佐ヶ谷——隣り合った3つの駅のどこからも、同じ人の話が出てきているのですよね。


名古屋のラーメン屋でも同じ話が出てきた

東京の話が積み上がっていくのと同じ日に、生まれ育った名古屋からも投稿が出ています

名古屋市鶴舞のラーメン屋で高校生のときにバイトしていた人の話で、気に入らなかったのは味ではなく、どんぶりの角度でした。

浅いからスープがすぐ冷める、変えろ、と店主に迫ったそうです。

店主のほうは「どこの店もおんなじですよ」と返しています

高円寺の話とそっくりなのに、店も相手も別だというのが、いちばん引っかかるところ。

もう1つ、妻について触れた投稿もありました。

亡くなった叔父が妻の店の常連だったという、又聞きの話です。

時おり本人も店にいた、と叔母から聞かされたと書かれています。

50年別居していたと聞くと顔も合わせていないように思えますが、どうやらそうとも限らないようです。

籍を残したまま、店には顔を出していたのかもしれない——ただし、この話の裏は取れていません。

店がどこにあったのかも、いつごろのことなのかも書かれていないまま、投稿はそこで終わっています。


寿司に牛乳は合うよねと言われた話もあった

訃報の直後に流れてきたのは悪評ばかりでしたが、2日目になって、穏やかなやりとりを書いた投稿も出てきました

声をかけた高校生に返ってきたのが、寿司に牛乳は合うよねなんです。

怒鳴られた話を読んだあとだと、拍子抜けするくらい静かなやりとりですね。

喫茶店で何度も見かけて、そのことを本人に話したという人もいました。

「声掛けてよ〜(笑)」と言われ、帰り際にも振り返って手を上げてくれたそうです。

こちらは高円寺の喫茶店で手を振ったら振り返してくれた、という話なのですが、この人は「そういえば当時10代女子だったわ」と自分で書き足しています

同じひとコマが、楽しい思い出にもなれば、後から効いてくる引っかかりにもなってしまう。

数の上では、やはり怒鳴られた話のほうが目立ちます。

この人たちにとっての森本レオは、最後まで感じのいいおじさんのままでした。


怒鳴られた話と同じだけ確かめられていない

怒鳴られた話のなかにも、暮らしぶりのほうを書いた投稿がまじっています。

高円寺駅の北口にある店で、書いた人は出勤の途中にたびたび見かけていたそうです。

朝7時ごろ、出勤前の人にまじって、やよい軒のカウンターにいる83歳。

この投稿は、ご冥福をお祈りしますで結ばれています。

 

この話も裏は取れていなくて、怒鳴られたという証言と、確かめられている度合いはまったく同じです。

違うのは、怒鳴られたバイトのような怒りが、書き手にまったく無いことだけ。

それでも、読んでいて受ける感じはまるで違います

同じことは、女性関係の話のほうでも起きていました。

名前を出して語られた2件と、ネットの中だけで回っている名前が、いま一緒くたに並んでいる

そこを分けて読もうとしている人も、ちゃんといます。

全部まとめて信じるか、全部まとめて疑うか。

その2択では、ありませんよね。


肋骨を8本折られたという投稿まで出てきた

検索しろという投稿が回ったあと、そこへ集まってきたのは、証言ばかりではありませんでした。

たとえば、バイト先でこんなことがあった、という投稿です。

同じ女性店員の列に必ず並び、その人が休みの日に来て怒った——という、店の側から見た言い分でした。

ただ、どこの店なのかも、いつごろの話なのかも書かれてはいません。

ところが、その隣にはこういうものも並びました。

居酒屋で話しかけたら肋骨を8本折られた、と。

これは誰が読んでも作り話です

証言らしい証言と、誰が見ても冗談だと分かるものが、同じ列に並んで流れはじめました。

30年以上前に高円寺の文房具屋で横柄な態度を見た、という投稿も、その晩のうちに出ています。

ただ、これが本当かどうか確かめる方法が1つも無いのは、肋骨の話とまったく同じです。

そこへ、言われたとおりに検索してみた人の投稿が流れてきました。

噂そのものより、噂の話をしている投稿のほうが多くなっていたんです。

個別の証言そのものに、はっきり疑いを向ける人も出てきます。

森本レオが自分から名乗って何度も電話をかけ、そのたびに激怒していた——別の人がそう書いていました。

その投稿の中身を、順番どおりに並べ直しただけのものです。

そう書き直されると、確かに引っかかるところが出てきます。

 

はじめに流れていたのは、街の人が自分の記憶を書いた投稿でした。

日付が変わったあたりから増えてきたのは、その話を読んだ人が、その話について書いた投稿のほうです。

同じ2語で検索しても、日が変わるだけで出てくるものが入れ替わっていく。

何が起きているのか確かめるつもりで検索した人ほど、どれを信じればいいのか分からなくなっているはずです。


Wikipediaには一行も書かれていない

森本レオのWikipediaを開いてみると、2002年の会見も、2つの告発も、一行も書かれていません

載っているのは、生年月日と経歴、膨大な出演作の一覧、結婚と別居、そして死去。

訃報を伝えた記事の多くも、同じでした。

過去に触れたものは、スキャンダルという一語でまとめるか、まったく触れないかのどちらかです。

素行の話をひとしきり書いたあとに、ご冥福をお祈りしますで締める。

調べて出てくる森本レオと、会った人が覚えている森本レオは、最後まで別人のままでした。

あの妙な形が大量に流れたのは、たぶんそのせいです。

大阪でいう「知らんけど」。

言い切るのは怖いので、最後に一言つけて逃げ道を残しておく。

書いている本人も、どこまで本当かは分かっていません

あの「ご冥福をお祈りします」は、そこを承知で付けている一言なのだと思います。

「温厚なおじさんだと思ってたのに」とショックを受けるのも当然です。

普通に検索していた人には、良い人の情報しか届いていなかったのですから。


告発のあとも24年テレビに出ていた

2002年に会見があり、その年の秋に告発が誌面に出て、2006年には本が出ました。

『きかんしゃトーマス』の初代ナレーターとして子ども向け番組に出続け、クイズ番組『Qさま!!』のナレーションも長く担当しました。

その『Qさま!!』の最後の収録は2026年8月末で、亡くなる数日前まで普段と変わらない様子で現場に入っていたそうです。

アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の主人公の声も、この人。

どちらの告発も、時効が過ぎたあとに語られたものでした。

被害を訴えた側が刑事告訴をしたという記録も、当時の報道を見た範囲では見当たりません。

いまと同じ時代に起きていたら間違いなく大炎上していただろう、という見方も出ています。

裁判にも捜査にもならなかったからといって、番組に使い続けてよい理由にはなりません

起用するかどうかを決めるのは警察ではなく、番組を作る側だからです。

年齢差のほうに、あらためて驚いている人もいます。

1981年の秋、石原真理子は17歳で、森本レオは38歳。

なぜその後も仕事ができたのか、そこが不思議だと書いていました。

そして使い続けた側は、何も言わないまま今日まで来ています。

同じところで引っかかっている人は、ほかにもいました。

いちばん説明が要るのは、そちらなのではないでしょうか。


張本勲の訃報はトップで流れていた

訃報から2日たった9月13日は日曜でした。

TBSの『サンデーモーニング』は、同じ週に亡くなった張本勲の訃報をトップで伝えています。

落合博満と中畑清が冒頭から出演し、最後の「喝」まで流しました。

その日のテレビを見ていた人が、こう書いています。

TBSの『サンデーモーニング』と『サンデージャポン』は、森本レオの訃報に全然触れなかった。

張本勲とグレート義太夫には時間を割いて過去のビデオまで流したのに、と。

グレート義太夫が亡くなったのは9月7日で、森本レオの3日あとです。

 

番組を頭から終わりまで見た人しか、本当に一度も出なかったかは言えません。

それでも、同じ局の同じ日曜の朝で、扱いに差があったと感じた人がいる

そこは動きません。

そもそも、これだけ悪評に偏るのは珍しいことだ、という見方も出ています。

亡くなったあとに悪い話が出る有名人はほかにもいるけれど、その人たちは唸らされるような逸話のほうが大半だ。

それに比べて森本レオはほぼ100%悪評しか出てこない、と書いています。

いくらネット社会とはいえ、これまでにないレベルだ、とも。


なぜここ数年姿を見せなかったのか

訃報の書かれ方そのものに引っかかった人もいました。

名優だったと認めたうえで、それでも引っかかる、という順番で書いています。

ここ数年その姿を見なかった理由は、事務所の発表にも訃報のどこにも書かれていませんでした。

美談のほうに引っかかった人もいます。

美談として語られている交流を、そうは読めない人もいるということですね。

『笑っていいとも!』で飛び出したあんなのにマネされるなんて心外の一言のほうが、この人の中にはずっと残っていました。

その肥後克広のものまねについては、こんな場面を覚えている人もいます。

ネタとして笑われていたことを、本人が審査員席で嫌がっていた、という話です。

もっと強い言葉も流れました。

祈るだけで終わらせるな、という一言なんですよね。

この投稿は、今回いちばん遠くまで届いたもののひとつです。


告発を出せる先が雑誌とテレビしかなかった

では、なぜ2002年ではなく今なのでしょうか。

告発が出た当時は、今回のような広がり方をまったくしていません。

当時、こういう話を世の中へ出せるのは雑誌とテレビだけで、その編集部やプロデューサーが扱わないと決めれば、それで終わりでした。

実際、告発を載せたのは週刊誌だけで、そこから先へ話は広がっていません。

 

今回いちばん量が出たのは、店で働いていた人や、通りすがりに見かけた人の話ですが、同じことが24年前に起きていても、言う先はひとつもありませんでした

「こんな酷い目に遭った」と言っても、届く相手がいない。

そうやって町の中の噂話として消えていったのでしょう。

名前を出して語った側も、置かれた場所は同じでした。

当時はSNSがなく、たった一人で言うしかなかった。

それでも見ていた人はいた、と24年後に書かれています。

だから今回は、雑誌もテレビも通さずに広がりました。

死人に口なしとばかりに言いたい放題ではないか、という受け取り方も出ています。

「子どもの頃の思い出を壊さないで」と願うのが、正直なファン心理でしょう。

それでも、この話は亡くなってから始まったものではありません

2002年に名前と顔を出して語った人がいて、その話は週刊誌の中で終わったまま、24年たってようやく人の口に上っています。

ネットの誹謗中傷と違って、24年かけて届いた告発なのかもしれません。

 

「あの優しい声の人がなぜ」と。

亡くなった人を責めても、もう何も返ってきません。

それでも、24年前に名前と顔を出して語った人の話まで、いま「噂」のひとことで片づけてしまうのは違うと思うんです。