2026年9月1日、埼玉栄高校のグラウンドで起きた車の横転事故をめぐって、亡くなった生徒さんのご両親が学校側を訴えました。

求めている金額は、およそ1億3600万円。

このニュースが流れたあと、タイムラインはひとつの言葉で埋まりました。

自業自得ではないのか、という言葉です。

 

深夜に寮を抜け出して、勝手に学校の車を持ち出す。

免許のない同級生が運転する車に、自分から乗り込む。

それで1億3600万円を求めるのは、順番が違うのではないか。

学校のほうこそ被害者だろう、という声も、たくさんありました。

 

そして翌9月2日、ご両親が埼玉県庁で会見を開きます。

すると矛先は、今度はご両親のほうへ移りました。

モンスターペアレントだ、責任転嫁だ、と。

 

ただ、その会見でご両親の代理人が出したのは、事故の直前に車内で撮られていた映像でした。

息子は身を乗り出してなどいなかった、というのがご両親の言い分です。

この提訴は、どこまで通るのか。


まず あの夜に何があったのか

事故が起きたのは、2024年11月16日の夜11時20分ごろ。

場所は、さいたま市にある埼玉栄高校のグラウンドでした。

寮の点呼が終わったのは、その2時間ほど前。

午後9時に点呼を受けた男子生徒4人が、そのあと寮を抜け出しています。

 

向かった先が、サッカー部がグラウンド整備に使っていた軽自動車。

運転したのは高校2年の同級生で、免許は持っていません。

助手席にいたのが、当時17歳だった陸上部の生徒さんです。

全国を目指して走っていた子だったと、お母さんは会見で話していました。

車は地面の斜面に乗り上げ、横倒しになります。

助手席の生徒さんは頭を挟まれるなどして亡くなり、後ろの席の生徒がひとり、けがをしました。

 

鍵は、そのとき車の中に置かれたまま。

ドアも、かかっていませんでした。

そして当初は、亡くなった生徒さんが助手席の窓から身を乗り出していた、と報じられています。

この一行が、のちのち大きな争点になるわけです。

 

ここまでを並べると、たしかに引っかかります。

車を持ち出したのも、乗ったのも、学校ではないからです。


「自業自得だろう」は裁判でもちゃんと数えられます

いちばん誤解されているのが、ここだと思います。

民事裁判は、どちらが悪い人かを決める場所ではありません。

起きてしまった損害を、誰がいくら分持つのかを決める場所です。

 

だから「亡くなった側にも落ち度があった」という話は、裁判で無視されません。

その落ち度の分だけ、もらえる金額が減ります。

これが、過失相殺と呼ばれるもの。

名前はいかついですが、やっていることはただのわり算です。

 

たとえば、こんな裁判が過去にありました。

運転する人が無免許だと知りながら、その車に乗せてもらって、事故で亡くなってしまったケースです。

このとき、遺族がもらえる金額は4割減らされています。

シートベルトをしていなかっただけで、1割ほど減った例もあるんです。

今回は、どうでしょうか。

運転する友達に免許がないことは、乗った側も知っていたはずです。

しかも、勝手に持ち出した車でした。

 

減らされる割合は、かなり大きくなります。

半分では済まないかもしれません。

裁判所は、ここを何割と決めます。

2割なのか、5割なのか、7割なのか。

仮に7割引かれれば、1億円の請求でも残るのは3千万円ほど。

同じ裁判でも、2割と7割ではまったく別の結果になります。

 

つまり「自業自得ではないのか」というあの感覚は、裁判のなかで否定されるどころか、きちんと居場所を持っているんです。

何割引くか、という形で判決文の中に書き込まれます。


「身を乗り出していなかった」とご両親は言っています

ところが、その前提そのものが動きました。

2026年9月2日、提訴の翌日にご両親が埼玉県庁で会見を開いています。

そこで代理人の弁護士が示したのが、事故の直前に車内で撮られていた映像。

撮っていたのは、同乗していた生徒でした。

 

これを見たうえで、弁護士はこう言っています。

亡くなった生徒さんは、身を乗り出してなどいなかった。

席に座ったままだった、と。

残っていたのは、映像だけではありませんでした。

車内には笑い声が響いていて、そのなかに亡くなった生徒さんの声もあります。

「まじ横転するよ。怖いから」

ご両親は、これは止めようとした言葉だと説明しています。

運転していた生徒が視線をそらして、戻した3秒後のことでした。

ハンドルは左へ切られたあと、大きく右へ切られて、車体は斜面へ向かっていったそうです。

弁護士は、わざとぶつけにいっているようにしか見えない、とまで言いました。

大事なのは、ここから先です。

「窓から身を乗り出していた」という話は、誰かがネットで作ったものではありません。

報道に乗って、私たちのところへ届いたものでした。

弁護士は会見で、誤解を招く広報をしたのは県警の問題だと話しています。

正直に書いておくと、この記事も最初はそう書いていました。

身を乗り出していたのだから落ち度は重い、という見積もり。

「自業自得だろう」と感じた人が雑だったわけではありません。

そう読める材料が、公の側から出ていました。

ただし、これもいまのところは遺族側の主張です。

映像そのものは公開されていませんし、県警も学校側も、これに答えを出していません。

裁判で最初に争われるのは、たぶんここになります。


「学校のほうが被害者では」という声について

もうひとつ多かったのが、この受け止め方でした。

勝手に鍵を持ち出されて、車を壊されて、学校の名前にも傷がついた。

それなのに1億円を払えというのか、と。

「勝手に持ち出された側なのに、どうして払わされるのか」

現役の先生からも、同じことを言っている人がいました。

正直に言うと、私もその気持ちはよくわかるほうです。

 

先生たちも、無傷ではありません。

2026年3月、サッカー部の監督とコーチの2人が、業務上過失致死傷の疑いで書類送検されました。

お金の話とは別に、刑事の責任を問われている先生がいます。

学校が何ひとつ損をしていない、という話ではありませんから。

この受け止め方を、いちばん短く言い表していたのがこれでした。

ただ、この例えには一か所だけ、実際とずれているところがあります。

 

車を持ち出して運転したのは、亡くなった生徒さんではありません。

運転していたのは別の同級生で、亡くなった生徒さんは助手席に乗せてもらっていた側でした。

そして、その運転していた同級生も被告になっています。

つまりご両親は、学校だけを訴えているのではありません。

車を持ち出した側にも、同じように賠償を求めています。

盗まれた側だけが訴えられている、という形ではそもそもありません。

 

もうひとつ、気づいたことも。

学校の側に立って書いている人の投稿を読んでいくと、こういう一行にくり返し出会います。

1か月前にも同じことをやっていたなら、その時点で退学にしておけばよかったのに。

これ、よく読むと学校を責めている言葉です。

止められたはずなのに止めなかった、と言っているわけですから。

 

学校がかわいそうだと思う気持ちと、学校に落ち度があったという判断は、じつは同時に成り立ちます。

裁判で問われているのは、前者ではなく後者のほう。

この2つは、けんかしません。


それでも学校がお金を払う話になる理由

じつは、そっくりな裁判が最高裁まで行っています。

会社の寮の駐車場に停めてあった車が、鍵を車内に置いたまま盗まれました。

盗んだ人が5時間後に居眠り運転で多重事故を起こしたので、巻き込まれた側が車の持ち主の会社も訴えた、という裁判です。

 

二審は、会社の責任を認めました。

ところが2020年1月、最高裁がそれをひっくり返します。

理由は、この会社には「鍵は寮の食堂で保管する」という決まりがあったから。

決まりはあって、従業員がその日たまたま守らなかった。

だから会社の管理に落ち度があったとは言えない、という判断でした。

 

ここが、今回といちばん違うところです。

埼玉栄でも、鍵はもともと監督室で管理されていました。

ところが2023年3月ごろから、無施錠の車内に置くのが当たり前に。

最高裁の会社は、決まりがあって一度だけ破られた。

埼玉栄は、決まりのほうが消えていたのです。

同じ「鍵の置きっぱなし」でも、ここまで中身が違います。

ちがいは、あと2つ。

 

持ち出したのは通りすがりの他人ではなく、その学校の生徒でした。

学校には、預かっている生徒の安全に気を配る義務が、そもそも法律の上でも認められています。

しかも訴状は、寮を見ていた舎監まで被告にしました。

深夜に寮を抜け出せる状態を、そのままにしていたという主張です。

そして、事故の1か月前、同じ生徒が、同じ場所で、同じ車を横転させていました。

それでも学校は、調査も対策もしていません。

 

一度起きたことが、1か月後にもう一度起きた。

これを「予想できませんでした」と言うのは、さすがに苦しくなります。

 

しかも、ひとりの生徒のいたずらではありませんでした。

学校が設けた調査委員会は、無断で車に乗る行為が2022年の秋ごろから続いていたと認定しています。

確認できただけで21件。

乗っていた生徒は、のべ73人。

先輩から後輩へ、2年ものあいだ渡っていたことになります。

それでも教職員は、事故が起きるまで誰ひとり気づいていませんでした。

そもそもこの軽自動車は、サッカー部が部費で買った6万6000円ほどの中古車。

学校の備品としては、登録すらされていません。

誰も点検しない車が、鍵を挿したままグラウンドに置かれていた、ということです。

さきほど書いた監督とコーチの書類送検も、理由はここ。

2026年2月には、学校が自分で立てた調査委員会も、管理体制の不備が野放しになっていたと指摘しました。

 

つまり学校側の落ち度そのものは、もう争点ではなくなりつつあります。

これから争われるのは、その割合をどこで切るかのほう。


1億3600万円はどこから出てきた数字なのか

お金の話をします。

ここでいちばん多くの人が引っかかったはずだからです。

先に大事なことを書いておきます。

請求した金額と、実際にもらえる金額は、まったくの別物です。

裁判は、原告が求めた額を上限にして、そこから削っていく形で進みます。

だから請求のほうは、最初から高めに立てるのが普通です。

 

では、なぜ1億円を超えるのか。

死亡事故の賠償は、ざっくり言うとこの足し算でできています。

  • その人が働いていたら手にしていたはずのお金
  • 亡くなったことへの慰謝料
  • お葬式の費用
  • 弁護士の費用

17歳は、いちばん上の数字が大きく出る年齢です。

これから40年、50年と働くはずだった時間が、まるごと残っているからでした。

だから高校生が亡くなった事故の請求額は、それだけで1億円台になります。

吹っかけた数字というより、計算どおりに積んだ数字に近いんです。

 

そしてここから、さっきのわり算が入ります。

半分近く減れば、残るのは数千万円。

見出しに出た1億3600万円は、削られる前の、いちばん膨らんだ状態の数字でした。

それだけがひとり歩きすると、実際よりずっと図々しく見えてしまいます。

それと、訴えられたのは学校だけではありません。

運転していた生徒も、一緒に乗っていた生徒も、その親たちも被告になっています。

ここは仕組みを知ると、少し見え方が変わるところ。

何人かで起こした事故では、関わった全員がいったん全額を背負うという考え方をします。

今回の被告は、全部で15人。

それでも請求が15倍になるわけではありません。

1億3600万円という枠はひとつで、誰がいくら持つかは、あとで被告どうしが分け合う形になります。


で この提訴はどこまで通りそうなのか

ここまでを、いったん整理しておきましょう。

学校側の責任は、認められる方向だと思います。

鍵の置きっぱなしと、1か月前の事故。

この2つが重すぎました。

ただし金額は、請求どおりにはなりません。

落ち度の分がかなり大きく引かれるので、私自身は半分にも届かないのではないかと見ています。

 

友達とその親への請求は、通りにくいはず。

高校生は、自分のしたことを自分で背負える年齢だとされているからです。

親まで払わせるには、その親自身の見守りに落ち度があったことを、ひとつずつ示さなければいけません。

そして、判決まで行かずに和解で終わる道もあります。

民事裁判では、途中で裁判所が和解をすすめることがよくあるからです。

その場合、金額は表に出ないまま終わります。

 

学園側は今のところ、訴状を確認できていないためコメントは控える、という立場です。


今度はご両親のほうに矛先が向いています

会見が報じられたあと、いちばん伸びたのは学校への批判ではありませんでした。

ご両親への批判です。

 

引っかかったのは、たぶんこの2つの言葉だと思います。

「謝罪も一切ない」

「許すことはできない」

自分の子が寮を抜け出したことについては、会見で一言もなかった。

そこを飛ばして「許せない」と言われると、順番が違うと感じる。

この感覚は、おかしくありません。

私も最初に引っかかったのは、まったく同じところでした。

 

そのうえで、気づいたことをひとつ。

「謝罪」という言葉の中身が、両側でずれています。

 

批判している側が言う謝罪は、非を認めることです。

まず自分の子の非を認めろ、という順番の話。

いっぽう、お父さんが会見で言ったのはこういう言葉でした。

学校は何の説明もなく、なぜもっと早く気づいてくれなかったのか。

その真実を知りたい、と。

お母さんのほうも、真実を明らかにしたい、同じような家族が出ないようにしたい、と話しています。

調査委員会の報告書が出てから半年あまり、保護者への説明会は一度も開かれていません。

ご両親にも、説明の場は設けられていないそうです。

 

つまりご両親が「謝罪がない」と言うとき、指しているのは説明がないことのほうでした。

使っているのは同じ3文字なのに、指しているものが正反対。

それがそのまま、あの反発になっている気がします。

会見では、ネットの書き込みについても触れられました。

身を乗り出していたのではないか、という書き込みが相次いだ、と。

あの映像を持ち出したのは、そこへの答えでもあったのだと思います。

 

ここまで書いてきて、はっきりしたことがひとつ。

裁判所がこれから決めるのは、割合です。

どちらの親が立派だったかは、判決文に一行も書かれません。

書かれるのは、鍵をどう置いていたか、73人をなぜ止められなかったか、そして助手席の生徒に何割の落ち度があったか。

 

だから「自業自得ではないのか」というあなたの感覚も、消えたりはしません。

何割という形で、ちゃんと数えられるはずです。

 

この事故で亡くなられた生徒さんのご冥福を、心からお祈りいたします。