夜ごはんができた、と声がかかりました。

みんながテーブルにつきます。

自分の分だけが、ありません。

 

9月1日に配信された『ラヴ上等』シーズン2の回で、この場面が流れました。

数日前に転校生として入ってきたばかりの女性がいて、女子メンバーが作った夜ごはんに彼女の分だけがなかった、という場面です。

 

Xには、配信からいくらも経たないうちに同じ怒りが並びました。

「ねぇ流石にキャバ嬢のこと嫌いでもご飯1人分だけ作らないのはありえない」という投稿は、その日のうちに150万回以上表示されています。

 

私が引っかかったのは、怒りの大きさそのものよりも、この形の意地悪だけが特別に人を怒らせることのほうでした。

無視でも、陰口でも、こうはならない気がします。

どうして「ごはんを1人分だけ作らない」は、ここまでこたえるのでしょうか。

今回は何が起きたのかを追いかけたあとで、そこを分解してみます。

これは番組の中だけの話ではなくて、職場でも学校でも、たぶん明日にでも見かける形です。


9月1日の回で何が起きたのか…歓迎会の食卓に1人分だけなかった

まず、番組を見ていない方のために最低限のところを書きます。

『ラヴ上等』はNetflixで配信されている恋愛リアリティショーです。

「恋も喧嘩も命懸け」を掲げていて、元暴走族や少年院を出た若者たちが、学園に見立てた施設で14日間の共同生活を送ります。

MCはMEGUMIさんと永野さん、シーズン2からはAwichさんが加わりました。

舞台になっているのは、沖縄に用意された学園です。

シーズン2の配信が始まったのは、2026年8月4日。

毎週火曜に少しずつ公開されていて、8月25日からの第二期で新しいメンバーが合流しています。

全20話の配信が終わるのは、9月8日の予定です。

 

その転校生の一人が、みみさん。

オリコンの記事では「北新地トップキャバ嬢」として紹介されていました。

大阪の高級店で看板を張っている、29歳の女性です。

合流した回では、先にいた女子メンバーと入ってすぐに激しい口論になっています。

もともと固い空気の中に入っていった人だった、ということになります。

 

そして9月1日の回で、あの食卓の場面が来ました。

「歓迎会のご飯なのに」と書き添えている人もいました。

 

ここが、この場面のいちばん苦しいところだと思います。

歓迎会は、その人を輪に入れるためだけに開く食事です。

入れるための席なのに、1人分だけ用意されていませんでした。

目的と結果が、まっすぐ逆を向いています。

 

先に、こちらで確かめきれなかったことも書いておきます。

誰が言い出したのか、そもそも意図してやったことなのかは、番組の中では言葉になっていません。

作った側の説明も、この記事を書いている時点では表に出ていないままです。

ですから誰か一人を悪者に名指しすることは、ここではしません。

分かっているのは、食卓に1人分だけ足りなかった、という形のほう。

そして今回いちばん考えたいのも、そちらのほうでした。


無視より刺さるのはなぜか…外すのに手間がかかっているから

意地悪には、何もしないタイプのものがあります。

目を合わせない、話しかけない、話しかけられても短く返す。

そういう無視も、じゅうぶんにこたえるものです。

けれど、見ている人が「性格悪すぎ」と声を上げるところまでは、なかなかいきません。

 

ごはんが違うのは、外すのに手間が増えているところです。

料理は、頭から終わりまで人数でできています。

お米を計る、器を出す、盛りつける。

どの工程にも人数の数字が入っていて、1人ぶん減らすには、そのたびに数え直さなければいけません。

 

つまり、手を動かしているあいだじゅう、その人のことを考え続けたことになります。

無視が「その人を見ないこと」だとすれば、こちらはその人を見続けないと成立しない意地悪でした。

見ている側は、そこを一瞬で読み取っています。

だから怒りの温度が違うのだろうと思いました。

「一人くらいやめようぜって言う人はいないのか」という声が、いちばん多く並んでいました。

怒りの向き先が、やった人ではなく止めなかった人のほうへ伸びています。

そこも、この形の特徴だと思いました。


この形の本当の怖さ…あとから「うっかり」と言えてしまう

面と向かって言われた悪口には、その場で言い返せます。

言った人がいて、言葉があって、聞いていた人がいるからです。

ごはんが1人分ないことには、そのどれもありません。

 

本人が気づくのは、席についたあとになります。

全員がそろっている前で、自分の前だけ何もない状態から始まる。

そこで「私の分は」と言えば、こちらから騒ぎを起こした形になってしまいます。

黙っていれば、何も起きなかったことになりました。

 

やった側には、いつでも逃げ道が残っています。

「足りなかっただけ」「聞いてなかった」「もう食べたと思ってた」。

言葉を1つも使っていないので、あとから何とでも説明できるのです。

謝る必要すら出てきません。

 

ここが、この形のいちばん厄介なところでした。

意地悪という言葉では、もう足りないのかもしれません。

相手を傷つける力は最大で、責任を問われる可能性は最小。

その割の良さを、やっている本人が計算しているとは限りません。

けれど結果として、いちばん安全な傷つけ方になっているのは確かです。

 

この均衡が崩れるのは、当事者以外の誰かが口を開いたときになります。

今回の回でも、男性メンバーのルネさんがそこを言葉にしていました。

この一言を書き留めた投稿は、その日のうちに47万回以上表示されました。

外された本人が言えば、わがままに見えてしまう場面です。

そこを横にいた人が言うと、「うっかり」の逃げ道がふさがります。

止める人がいたかどうかで、同じ出来事の形がここまで変わりました。


台本なんじゃないの…専門の委員会でも確定できなかった線引き

この場面を見た人の多くが、同じところで足を止めています。

これ、台本なんじゃないの。

 

先に、番組が自分で説明していることから。

企画とプロデュースを担当しているMEGUMIさんは、WWDJAPANのインタビューで、参加者一人ひとりと個人面談をして番組の意義を伝えたと話しています。

そこで徹底したのは「気持ちを抑え込んだり、無理にキャラを作り込んだりはしないこと」だったそうです。

心理的なケアのために、出演者一人につき専属のメンターも付けたと語られていました。

台本を渡している、という説明のほうは出てきません。

ここで、1つ気づいたことがありました。

台本を配らないことと、感情が出るように場を作ることは、両立します。

面と向かって「抑え込まないでほしい」と頼まれた人たちが、14日間だけ同じ屋根の下に集められる。

セリフが1行も書かれていなくても、出てくるものはある程度決まってきます。

 

そのうえで、台本があったのかどうかを、画面のこちら側から見分けられるものでしょうか。

ここには前例があります。

2021年3月30日、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会が、あるリアリティ番組についての判断を公表しました。

争点になった「過剰に煽る編集」と「誓約書」については、放送倫理上の問題はないとされています。

いっぽうで、出演者の健康状態への配慮が欠けていた点には問題があった、と認められました。

そして肝心の演出の指示があったかどうかは、「事実関係を確定できない」で終わっています。

 

資料を集められて、関係者から直接話を聞ける立場の委員会が、それでも確定できませんでした。

スマホの画面を見ている私たちに、それが分かるはずもありません。

「台本かどうか」は、答えの出ないほうの問いです。

この投稿が、いちばん正直な受け止めだと思いました。

演出だとしても無理、というところです。

 

台本があってもなくても、変わらないことが1つあります。

あったなら、作られた意地悪に本気で腹を立てていたことになる。

無かったなら、本当に1人分だけ作られなかったことになります。

どちらだったとしても、あの席に座った人は、あの席に座りました。

 

編集にできるのは、あったものから選ぶことまで。

無かった皿を、あとから消すことはできません。

その日その台所で人数を数えた人がいて、1つ足りない状態でテーブルが整いました。

そこだけは、演出という言葉では動かせない部分です。

 

逆のことも言えます。

番組は、いくつもある場面の中からこの食卓を選んで、いちばん効くところに置きました。

私たちの怒りは、作り手がいちばん欲しかった反応でもあります。

この番組自体、配信の途中で出演者の過去をめぐって大きく批判されていて、8月18日には番組への疑問をまとめた記事が東洋経済オンラインに出ました。

もともと、燃えやすいものとして置かれている番組でもあります。

 

怒ってはいけない、という話ではありません。

ただ、怒りの矢印を画面の中の誰か一人へまっすぐ向けたとき、その先で何が起きるのかを私たちはもう知っています。

2022年7月7日には、刑法が改正されて侮辱罪が厳しくなりました。

それまで「拘留または科料」だった刑が、1年以下の懲役や禁錮、30万円以下の罰金まで引き上げられています。

起訴できる期間も、1年から3年へ延びました。

きっかけになったのは、ネットの書き込みで人が亡くなった出来事です。

さきほどの委員会の判断も、同じ番組をめぐって出されたものでした。

あの改正から4年たったいまも、出演者は番組が終わったあとを自分の名前で生きていきます。


画面の中だけの話ではない…見分けるための3つの目印

ここまで書いてきた形は、テレビの中の特別な出来事ではありません。

配られた差し入れが、1つだけ足りませんでした。

メールの宛先から、1人だけ抜けています。

資料が1部だけ刷られていないこともあります。

飲み会の日程が、1人にだけ届きません。

どれも、言葉は1つも使われていない形です。

 

偶然と見分けたいときの目印を、3つ置いておきます。

  • ①手間が増えているか/その人を外すために、わざわざ数え直す作業が発生していないか。ただの抜け漏れなら、外れるほうが手間は少ないはずです
  • ②ほかの人に見えるか/本人だけが気づく形ではなく、その場の全員に分かる形で起きていないか。人前で起きるほど、伝えたい相手は本人以外である可能性が上がります
  • ③うっかりで説明できるか/あとから「忘れてた」で片づけられる形になっているか。ここがそろっているときほど、指摘した側が悪者にされやすくなります

3つとも当てはまるなら、少なくとも気にしすぎではありません。

 

外された側が「考えすぎだよ」と言われやすいのも、ここに理由があります。

悪口なら、言われた言葉をそのまま書き出せます。

数が足りないことは、あとから言葉にした瞬間に自分の被害妄想の形になってしまう。

証拠が残らないのではなく、はじめから証拠になる言葉が発生していません。

 

そして、この形に気づいたときに効くのは、外された本人の抗議ではないのだと思いました。

横にいた人の、ひとことのほうです。

「◯◯さんの分は?」の6文字で、うっかりの逃げ道は閉じます。

責める必要すらなくて、数が足りていないことを声に出すだけで足ります。

ひとりになっている人のところへ行った男性メンバーがいて、その様子にMCの永野さんが言葉を返した場面でした。

視聴者がわざわざ書き留めたのが、意地悪の場面ではなくそちら側だったことは、覚えておいてよさそうです。

 

食卓は、人数を数える場所。

1つ減らすにも、数え直さないといけません。

あの夜、確かに誰かが数え直しました。

 

同じ夜に、席を立って声をかけに行った人もいます。

あの食卓で足りなかったのは、たぶんごはんだけだったのだろうと思います。