手術の最中に、目の前の組織が本当に腫瘍なのかどうかを調べる検査があります。

その検査で「腫瘍ではない」という答えが、なんと二度も返ってきました。

それでも、摘出は続けられたのです。

正直に言って、この一行を読んだとき、私は思わず「えっ」と声が出てしまいました。

2026年8月7日、京都大学医学部附属病院が公表した医療事故の内容は、知れば知るほど胸がざわつくものでした。

50代の女性が、良性の脳腫瘍を取り除くための手術を受けたはずが、腫瘍は手つかずのまま残り、代わりに正常な脳の一部と、呼吸をつかさどる脳幹が傷ついてしまったというのですから。

術前は、めまいこそあったものの、ふつうに日常生活を送れていた方でした。

いったい、なぜこんなことが起きてしまったのでしょう。

執刀した医師は、どんな経歴の人物なのか。

そして二度の検査結果は、どうして「ちょっと待った」をかける力にならなかったのか。

現時点で公表されている情報だけを頼りに、難しい言葉はできるだけかみ砕きながら、ひとつずつゆっくりほどいていきたいと思います。

 

執刀医は誰?公表されている経歴と経験

 

まずは、多くの方がいちばん気にされているであろう点から。

結論から言うと、執刀した医師の氏名は現時点で公表されていません。

会見でも報道でも、明かされたのは属性の情報だけでした。

伝えられているのは、脳神経外科の40代の男性医師であるということ。

経験年数は20年以上。

今回と同じような部位の手術を100件以上こなし、脳神経外科の手術全体では2000件以上という実績を持つ医師だといいます。

しかも病院側の説明によれば、これまで同種のミスはなかったとのこと。

つまり、新人が背伸びをして起きた事故ではないわけです。

 

むしろ院内では「あの先生に任せておけば安心」と評価されていた立場だったのではないか、と想像してしまいます。

「じゃあ、なぜ名前を出さないんだ」と、モヤッとされた方も多いでしょう。

その気持ち、すごくよく分かります。

ただ、日本の医療事故では、個人名の公表はかなり慎重に扱われるのが通例なんですね。

もちろんプライバシーへの配慮もありますが、それ以上に大きいのが、医療安全の世界の考え方です。

個人を吊るし上げても、同じ事故はまた起きる。

人を替えたところで、仕組みがそのままなら結局また誰かが同じ穴に落ちる、という発想ですね。

だから病院は、個人ではなくシステムとプロセスの問題として調べるという姿勢を取ります。

とはいえ、これは「永久に伏せられる」という意味ではありません。

過去の重大な医療事故でも、当初は匿名扱いだったものが、その後の調査報告や司法手続きの過程で氏名が明らかになった例はあります。

今回も、外部委員を含む事故調査委員会の結論、ご家族の意向、そしてすでに届け出が済んでいる警察の対応次第で、状況は変わってくるのかもしれません。

ちなみに会見の場に立ったのは、病院長の高折晃史氏と、脳神経外科診療科長の荒川芳輝氏らでした。

荒川氏は執刀医本人の様子について、本人も手術のビデオを見直し、術後のMRIを見て誤認したことを申し訳なく思っている、と説明しています。

なお京大病院で行われる脳腫瘍の手術は、年間およそ156件。

日常的に高難度の症例が持ち込まれる現場である、という前提も、頭の片隅に置いておきたいところかもしれません。

 

脳腫瘍手術で何が起きた?誤摘出の経緯

京大病院で脳腫瘍手術の執刀医は誰?なぜ検査2回でも止められなかったのか

引用 : https://www.excite.co.jp/news/article/ktv_1458341684874494780/image/1/

では、手術室では何が起きていたのでしょうか。

時系列で、順番に追ってみたいと思います。

患者さんは50代の女性で、数年前からめまいやふらつきを訴えて受診されていました。

検査で見つかったのが、小脳と脳幹のあいだにある「小脳橋角部」という場所にできた、約3センチの良性腫瘍でした。

良性と聞くと、つい安心してしまいそうになりますよね。

けれど大きくなれば周囲の神経を圧迫していくため、放置は得策ではないと判断され、7月末に全身麻酔での開頭手術が行われました。

 

この小脳橋角部という場所が、実に厄介なんです。

脳の深いところにあり、聴神経をはじめとする多数の脳神経と、太い血管がぎゅうぎゅうに密集しています。

たとえるなら、古い街の地下に敷かれた配管とケーブルが束になって走っている狭い路地のようなもの。

しかも術者はそこを、細い入口から覗き込むような姿勢で作業することになります。

目印になる構造物が見えにくく、脳神経外科のなかでも難度が高い領域として知られている場所なのです。

 

手術は約10時間に及びました。

その途中、執刀医は腫瘍と思われる部位から組織を採取し、術中迅速病理診断という検査に回しています。

これが手術中に2度。

ところが返ってきた答えは、二度とも「腫瘍は明らかではない」というものでした。

執刀医はこれを、腫瘍のふちの部分を採ってしまったために腫瘍細胞が含まれなかっただけだ、と解釈します。

そして肉眼で見えている組織の様子と、これまでの経験のほうを信じ、摘出を続行しました。

腫瘍は取り切れたという判断で、手術は終了しています。

異変がはっきりしたのは、その後でした。

患者さんの意識と自発呼吸が、いつまで経っても戻らない。

慌てて頭部MRIを撮ったところ、画面に映し出されたのは、想定とはまるで違う光景だったといいます。

取り除くはずだった腫瘍は、手つかずのまま残っていました。

その一方で、正常な「小脳扁桃」と呼ばれる小脳の一部などが摘出され、さらに呼吸中枢が集まる脳幹の側面から背側にかけて、大きな損傷が生じていたのです。

呼吸というのは、私たちが意識しなくても勝手に続いてくれる、あの当たり前の営みですよね。

その司令塔が傷ついた結果、患者さんは自発呼吸ができなくなってしまいました。

現在も人工呼吸器の管理下にあり、手足も動かせない状態が続いているとのこと。

問いかけに対して目の開け閉めなどで反応する様子はあるとのことで、意識はある程度残っているとみられています。

ただ、回復の見込みは現時点では不明とされているそうです。

病院はご家族に謝罪し、厚生労働省や京都府・京都市に報告したうえで、京都府警にも届け出ました。

さらに外部委員を含む事故調査委員会を立ち上げています。

手術のビデオはすべて保全されているそうなので、当日の手術室で何が起きていたかは、いずれ映像として検証されることになるのでしょう。

ネット上には厳しい声があがっています。

 

なぜ病理検査2回でも止められなかった?

 

ここが今回の核心だと、私は思っています。

二度も「違う」と言われて、なぜ手が止まらなかったのか。

まずは、術中迅速病理診断とは何なのかを整理しておきますね。

手術中に採った組織を急速に凍らせ、薄くスライスして色をつけ、顕微鏡で観察する検査のことです。

所要時間はおおむね30分前後。

手術を止めずに答えを出す必要があるので、とにかくスピード重視の検査だと考えてください。

 

目的は、腫瘍かどうか、どんな性質かを確かめて、どこまで切るかをその場で調整することにあります。

脳の手術では、機能を残すことと腫瘍を取り切ることのバランスが命綱ですから、その判断材料として重視されてきました。

ただし、この検査は万能ではありません。

ここが少しややこしいところなのですが、迅速診断には構造的な弱点がいくつかあるのです。

凍らせた標本は組織が縮んだり氷の結晶ができたりして、本来の姿と少し違って見えてしまうことがある。

採取した場所が腫瘍の本体から外れていれば、当然そこに腫瘍細胞は写りません。

時間の制約から標本の作りも簡易で、ホルマリン固定を経た本格的な標本ほどの精度は望めない。

 

文献では正診率9割超とされる一方で、一定の割合で偽陰性、つまり本当は腫瘍なのに「違う」と出てしまうことが起きるとされています。

だからこそ、現場の医師のあいだには「病理が違うと言っても、実際は腫瘍だった」という経験則が確かに存在するのですね。

荒川診療科長も会見で、2回出しても腫瘍ではないと言われることはよく経験する、といった趣旨を述べています。

その意味では、執刀医の判断は、まったく理解の外にあるものではなかったのかもしれません。

ここは、責める前にきちんと押さえておきたい部分ではあります。

しかし、です。

立ち止まって考えたいのは、「起こり得る」ことと「今回もそうだ」と決めつけることのあいだにある、深い溝。

偽陰性の可能性があると分かっているなら、本来は別の場所から採り直すとか、いったん手を止めて画像と照らし合わせるとか、確認の手順が挟まってしかるべきだったはずなんですよね。

荒川氏自身、肉眼所見で腫瘍だろうと思い込んだことが一番大きな問題だった、と表現しています。

検査というのは、自分の思い込みを外から殴ってくれる装置のようなものだと私は思っているんですよね。

答えが自分の見立てと一致したときだけ採用するのなら、それはもう検査ではなく、お守りに近いものになってしまうのではないでしょうか?

二度の陰性という、かなり強い形で差し出された客観的なサイン。

それが手術を止める力に変換されなかった以上、その経路のどこが詰まっていたのかが、調査の最大の焦点になっていくと考えられます。

 

経験を優先した判断に何があったのか

 

ここで少しだけ、執刀医の側に立って想像を巡らせてみたいんです。

先に断っておきますが、これは擁護でも免罪でもありません。

同じ事故を繰り返さないためには、なぜその人がそう判断してしまったのかを理解する必要があるからです。

100件以上の同種手術を経験し、これまで大きなミスもなかった医師。

その頭のなかには、膨大な数の「見た目のパターン」が蓄積されているはずです。

腫瘍とはこういう色で、こういう硬さで、こんなふうに剥がれる。

長年かけて磨かれたその感覚は、本来なら患者さんを守るための財産だったのでしょう。

 

ところが人間の認知には、なかなか厄介なクセがあります。

自分の見立てを支持する情報は素直に受け取り、否定する情報には理由をつけて割り引いてしまう、というクセです。

二度目の陰性が返ってきたとき、それは本来なら警報が二段階に上がった瞬間でした。

けれど「端を採ったからだ」という説明を一度採用してしまうと、二度目も同じ説明でそのまま処理できてしまうんですね。

荒川診療科長は、これを経験から来る慢心だと思う、とはっきり口にしています。

診療科長がここまで言い切るのは、なかなか重い話ではないかと感じました。

 

加えて、状況の要素も無視はできません。

手術は約10時間。

深部で解剖学的な目印が見えにくくなっていた可能性もありますし、長時間の集中による疲れもあったでしょう。

途中で引き返しづらい、後戻りのしにくい局面だったことも想像がつきます。

小脳橋角部の手術では、術前のMRIをもとにしたナビゲーションや、神経を刺激して反応を見る術中モニタリングが標準的に使われるそうです。

今回も周囲の危険を確認しながら進めたとされていますが、ここに落とし穴がありました。

「危険なものに触れていないか」は見張れても、「そもそも見ている場所が違う」ことまでは拾いきれないのです。

熟練したドライバーが、通い慣れた道でカーナビの案内を無視して曲がる場面に、少し似ているかもしれません。

たいていの場合は、経験のほうが正しい。

だからこそ、無視する習慣が育ってしまう。

そしてごくまれに、道路のほうが変わっていて、取り返しのつかないことになる。

 

医療の怖さは、その「ごくまれ」の代償を払うのが、本人ではなく患者さんだという点にあります。

執刀医本人は術後、映像と画像を見て自らの誤りを認識し、反省の意を示していると伝えられているそうです。

ただ、患者さんとご家族にとって、事後の反省で埋まるものが何もないこともまた事実なのでしょう。

 

3人の医師による確認は機能したのか

最後に、多くの方が引っかかっているであろう点に触れておきます。

手術室にいたのは、執刀医を含めて3人の医師。

3人もいて、誰も止めなかったのか。

そう思われるのは、ごく自然な反応だと思います。

 

現時点では、他の医師が病理の結果について異議を唱えたのか、どんな言葉が交わされたのか、具体的なやり取りは公表されていません。

医療安全管理部長の松村由美氏は、ビデオはすべて保全してあるので、手術のときに誰がどんなふうに動いていたかまでは分かる、という趣旨を述べています。

裏を返せば、そこはこれから検証される領域だ、ということになりますね。

ただ、一般論として言えることはあります。

手術室というのは、フラットな会議室ではありません。

切除の最終判断は執刀医に集中しやすく、そこに経験年数の差や上下関係が重なると、若手や助手が「先生、それ本当に腫瘍ですか」と言い出すのは、想像以上に難しい。

これは声を上げる勇気の問題というより、そういう構造なのだと捉えたほうが実態に近いように思います。

 

実際、飛行機の世界では、副操縦士が機長に異議を唱えられなかったことが事故の一因になった事例が積み重なりました。

その反省から、あえて疑問を口に出させる訓練が制度として組み込まれていったのです。

医療も、いままさに同じ道をたどっている最中なのでしょう。

検証のポイントになりそうなのは、病理の結果がどんな形でチームに共有されたのか、口頭だったのか画面で全員が見たのか、といった点。

異論を挟める空気があったのかどうかも大きいはずです。

手を止めて全員で確認する「タイムアウト」のような手順が踏まれたのか。

長時間の手術のなかで、役割分担と情報のやり取りがどう変化していたのか。

そのあたりが、ビデオ映像と関係者の証言から浮かび上がってくるのだろうと思います。

なお京大病院は事故を受けて、脳腫瘍の摘出手術では複数人による確認を徹底する体制に切り替えたと報じられました。

「それ、最初からやっておいてよ」と感じる方もいるでしょうし、その気持ちはとても自然なものだと思います。

 

ただ一方で、この病院は医療事故調査制度のもとで報告件数が全国でも突出して多い時期があった施設でもあるんですね。

報告が多いことは、事故が多いことと必ずしもイコールではありません。

むしろ隠さずに出す文化の表れだと評価される側面もあります。

 

今回、短期間で会見を開き、外部委員を入れた調査を始めた対応も、その延長線上にあると見ることはできるのかもしれません。

とはいえ、透明性は結果ではなく、あくまで出発点にすぎないでしょう。

自分の足で歩いて病院に入った方が、自力で呼吸することすらできなくなった。

この事実の重さは、どんな説明を重ねても軽くなりようがないと感じます。

私たちにできるのは、この出来事を「腕の悪い医者がやらかした話」として消費してしまわないことなのかもしれません。

二度の陰性が、手を止める力にならなかった。

その経路のどこが詰まっていたのかを直せるのは、感情的な断罪ではなく、地道な検証だけだと思うのです。

患者さんとご家族に、少しでも良い知らせが届くことを願いつつ、調査の続報を静かに待ちたいと思います。