2026年9月22日、アイドルグループ・ZOCXの公式Xが、メンバーの戦慄かなのさんについて「音信不通の状況が続いている」と発表しました。

発表までの半月あまり、欠席の理由は少しずつ言い方を変えていき、最後に出てきた言葉が「音信不通」でした。

それから40日がたった11月になっても、「戦慄かなのの行方が気になってるん私だけ?」と続報を探している人は、あなただけではありません。

あの発表のあと、何か分かったことはあるのでしょうか。

そして、ファンが「せめて生きていてほしい」とまで願うのはなぜなのか、9月の欠席から11月1日の今日まで、起きたことをたどっていきます。


戦慄かなののプロフィール

  • 名前:戦慄かなの(せんりつ かなの)
  • 生年月日:1998年9月8日(28歳)
  • 出身:大阪府生まれ、小学校から東京育ち
  • 所属:ZOCX(2025年1月に復帰)
  • グループとは別のユニット:femme fatale(妹の頓知気さきなさんと2018年から)/悪魔のキッス(元ZOCのかてぃさんと)
  • そのほか:NPO法人「bae」代表理事

戦慄かなのさんは、16歳から1年8か月を女子少年院で過ごしたことを、これまで取材で自分の言葉で語ってきました。

きっかけは、女子高生を売りにした接客の商売(JKビジネス)と、窃盗の手助けに関わったことです。

この過去を表で話すようになったのは、講談社のオーディション「ミスiD2018」の最終面接で、少年院にいた時期を含む「空白の2年」について聞かれ、答えたのが始まりだったと本人は語っています。

そのオーディションでサバイバル賞を受け、名前が一気に広まることに。

 

過去を話し続ける理由については、2019年のインタビューで「私みたいに虐待されているのに気付けていない子どもたちに気付いてもらえる、というのは意味があると思っています」と答えています。

少年院に入るまでは、母親に殴られるのは自分が悪いからだと思っていたとも話していて、児童虐待や育児放棄をなくすために立ち上げたのが、NPO法人「bae」です。

その年のハロウィーンには、監獄をテーマにしたレストランで「1日看守長」も引き受けています。

 

2018年には、大森靖子さんがプロデュースするZOCの結成メンバーに名を連ね、同じ年には妹の頓知気さきなさんとのfemme fataleも始動。

戦慄かなのさんは2020年7月にZOCを卒業し、グループは名前を2度変えたあと、2025年1月1日にZOCXとして再出発しますが、そのときに「電撃復帰」として戻ってきました。

2025年9月8日、本人の27歳の誕生日には、初期ZOCのころに大森靖子さんが書き下ろしたソロ曲「moreきゅん奴隷」が、サブスク(音楽の定額配信)で聴けるようになると発表されています。


体調不良から諸事情へ変わった欠席の理由

最初のお知らせは9月6日で、28歳の誕生日の前日にあたる9月7日に東京キネマ倶楽部で予定していたソロのミニワンマンライブが、体調不良のため延期になりました。

ゲストには、悪魔のキッスの相方で元ZOCのかてぃさんと、妹の頓知気さきなさんが呼ばれていた公演。

 

そこから欠席のお知らせが続き、理由の言い方は次のように変わっていきます。

  • 9月11日:イベント「YORU-FES vol.11」を体調不良で欠席
  • 9月18日:大森靖子さんの誕生日を祝うライブ(LIQUIDROOM)を体調不良で欠席
  • 9月19日:11月1日の「IDOL HALLOWEEN JAPAN 2026」は「スケジュールの都合」で欠席と案内
  • 9月20日:10月14日と17日のイベントも「諸事情により」欠席と告知
  • 9月22日:「音信不通の状況が続いている」と発表

体調が理由なら、言い方を変える必要はなかったはずです。

 

さかのぼると、2026年4月にもZOCXは戦慄かなのさんの欠席をお知らせしていました。

その4か月後の8月28日には、femme fataleとして約1年半ぶりの新曲「helter skelter」も配信されていて、9月の欠席が始まったのは、その直後のことでした。


最後のインスタに書かれた「100日間の日記」

戦慄かなのさんのInstagramは、ふだんの投稿が9月3日を最後に止まっています。

その投稿には本人と思われる写真が1枚と、「この100日間、日記を書き続けました。必ず出版される事を願っています。」という言葉。

それまでの投稿にはいつも顔が写っていたのに、この1枚は足もとだけで、顔が写っていなかったと報じられています。

 

しかもこの投稿には「編集済み」の表示が付いていて、書き換えられたのはZOCXが「音信不通」と発表した前日から当日にかけてでしたが、誰が何を変えたのかは分かっていません。

コメント欄には「生きててね。絶対に生きててね」「お願いどうか安全でいて」と、身を案じる言葉が並んでいます。

ただ、文面だけを読むと、100日分の日記を本にしたいという先の予定を書いた投稿で、お別れを言うような言葉はどこにもありません。


2024年の休止と今回の違い

ファンが「休養」と聞いて身構えてしまうのには、2年前の出来事があります。

2024年1月、戦慄かなのさんは心と体の不調を理由に、ソロやユニットを含むライブ活動を無期限で休むと発表し、そこには「自分が本当に壊れてしまう前に」という言葉が添えられていました。

同じ年の9月、新宿ReNYのステージで活動を再開。

ところがその直後に、SNSでDV被害を訴えています。

そして10月には、Instagramのライブ配信中に薬を多く飲んでしまい、マネジャーに保護されて救急搬送されたと報じられました。

 

ただ、2024年のときは、休むと決めた理由を戦慄かなのさん自身が長い文章でつづり、休みのあいだは治療に専念すること、インスタのストーリーズでときどき近況を伝えることまで、自分の言葉で約束していたのです。

今回はその本人の言葉がひと言もなく、説明したのはグループの側で、それも「詳細をお伝えできず」だけ。

復帰したあとの2024年12月のインタビューで、戦慄かなのさんは、休む前の年の後半に「やりたいことって何だっけ」という気持ちに襲われたと話し、それまでは「やりたいことがいっぱい湧いてきて、それをやる行動力だけが取り柄だった」とも振り返っています。

ソロで大手のレコード会社から曲を出すことについては、「『これが似合うよ』ってみんなが言ってくれるものを素直に一度やってみようと思った」という言葉も。

その翌年の2025年には、ZOCXへの復帰、ソロ曲の配信、ソロのファンクラブの開設が続き、ひとりで抱える活動の数は一気に増えています。


連絡が途絶えた理由をめぐる2つの見方

1つは、治療や療養に入っているという見方で、春と9月の「体調不良」の欠席と、2024年に治療に専念した前例が材料になっていて、どこかに入院しているのではと書く人もいます。

もう1つは、男性との関係で何かあったという見方です。

戦慄かなのさんと交流のある配信者のコレコレさんは、発表の日にXへ「急に連絡途絶えたけど生きてるよな?」と書き込み、その夜の配信では、送ったLINEに4日間返事がなく、仕事やイベントの連絡まで途絶えていると話しました。

配信中にかけた電話にも応答はなく、「言わないでくれって言われてるから言えない」と前置きしながら、最後には「男関係です」と口にしています。

 

コレコレさんは相手の男性について、怒ったら何をするか分からないという趣旨のことも話しましたが、もし本当にそんなことが起きていれば「それこそニュースになってるから、それはないんじゃないかな」と、自分ですぐに打ち消しました。

2024年にDV被害を訴えたときには、同棲していた交際相手の男性が暴行の疑いで逮捕された、と報じられた前例も。

本人が自分の意思で表から離れたという見方もありますが、それを支える材料はいまのところありません。

どの見方も、本人やグループの運営側が認めたものではなく、いまの居場所や体の状態についての発表は、11月1日の時点で出ていません。


本人抜きで進む活動と「戻ってきたら」の発表

2025年11月4日に開設されたソロのファンクラブは、10月の終わりに1年目の更新の直前を迎え、直前まで退会や変更の手続きができず、問い合わせにも返事がなかったと、会員から戸惑いの声が上がりました。

10月30日の夜には手続きができるようになったものの、ファンクラブから届いたメールはシステムの話で、femme fataleのファンクラブ「隠し子倶楽部」のころから会費を払ってきた会員は、知りたいのはそこではないと書いています。

femme fataleの相方で実の妹でもある頓知気さきなさんも、この件について公の場で語った言葉は、いまのところ伝わっていません。

 

10月31日のZOCXのライブでは、彼女をZOCに招き入れた大森靖子さんがMCのあいさつの最後に「戦慄かなの」と名前を口にしました。

9月22日の発表にも、「脱退」や「卒業」という言葉は1度も出てきません。

書かれていたのは、戦慄かなのさんを含めて「ZOCXが大好き!」という気持ちで集まったのが今のメンバーだということと、「元気に戻ってきたら、負荷なく過ごせる環境を整えつつ活動して参ります」という結びでした。

いくつもの活動を同時に抱えてきた人に向けて、戻ってきたら負荷のない環境を整えると書いた言葉です。

 

新曲「helter skelter」にゆかりのある場所を訪ねる「聖地巡礼」に出かけて、写真を上げるファンもいます。

40日たっても、悪い知らせはひとつも伝わっていません。

グループが席を空けて待ち、ファンが曲をたどりながら待っているのですから、「せめて生きていてほしい」という願いは、ただの心配ではなく、帰ってくる日を信じて待つための言葉だということですね。