2026年10月30日に東京・港区の都立六本木高校で1年生の女子生徒が同級生に刺された事件のあと、ネットで事件の中身と同じくらい話題になったのが、学校の「偏差値32」という数字でした。

六本木という華やかな地名から超進学校を想像して調べた人が、真逆の数字にひっくり返るほど驚いた投稿まで広がっています。

数字を見たとたん、「短絡的な凶行に走ったのも、そういう学校だからなのかな」と、心のどこかで納得しかけた人もいるはずです。

ところが報道をたどると、逮捕された生徒は、使った包丁を前もって買い、学校へ持ちこんでいたとされ、刺した相手については「親友だったが、裏切られた」と話していると伝えられています。

あの「32」という数字や、「港区のお金持ちの学校なのでは」という疑いは、本当に事件を説明しているのでしょうか。


事件のあとに偏差値を調べてしまう理由

理由の分からない事件ほど、人は怖くなるものです。

同じ年ごろの子どもがいれば、なおさら「うちの子の学校でも起きるのでは」と頭をよぎるでしょう。

調べて低い数字が出てくれば、「勉強が苦手な子が多い学校なら、カッとなって手が出ることもあるのかもしれない」と、事件にひとつの筋書きがつくわけです。

そうなれば、「自分たちの周りとは違う学校の話だ」と、ひとまず胸をなで下ろすこともできます。

六本木高校の「偏差値32」も、まさにその筋書きにぴったりはまる数字。

偏差値を調べた人の多くは、生徒を見下したかったというより、怖さを少しでも小さくしたかった、というのが正直なところかもしれません。

ところがこの学校の場合、その数字は、ほかの高校のようにテストの結果から出したものではありませんでした。


六本木高校の偏差値はそもそも測れない

六本木高校は2005年に開校した都立高校で、小・中学校で不登校を経験した生徒や、ほかの高校を途中でやめた生徒などが、もう一度学び直すための「チャレンジスクール」のひとつです。

  • 所在地:東京都港区六本木
  • 開校:2005年
  • 課程:定時制・単位制・総合学科
  • 通う時間帯:午前・午後・夜の3つの部から選ぶ
  • 入試:学力テストも中学の成績(内申書)もなし(志願申告書・作文・面接)

定時制と聞くと夜だけの学校を思い浮かべがちですが、ここでは学年ごとの進級がなく、取った授業の単位を積み上げて卒業を目指します。

総合学科なので、ふつうの教科のほかに、専門的な授業も自分で選んで組み合わせられます。

 

入試で見られるのは、なぜこの学校で学びたいのかを書く志願申告書と、50分の作文、15分ほどの面接で、国語や数学のテストの点数はどこにも出てきません。

大手の受験情報サイトでも、六本木高校の偏差値の欄は空いたまま。

それでも、事件の直後にXで出回った検索画面のスクリーンショットには、「32〜38程度」と出ているものもあれば、「37〜38程度」と出ているものもありました。

同じ学校を調べても、人によって出てくる数字が違うのは、もとになるテストがどこにも無いからでしょう。

実際、2025年3月に卒業したおよそ100人の進路は、大学へ進んだ人が38人、専門学校などが29人、就職などが29人と、行き先がばらばらに分かれていました。

大学へ進んだ38人の中には、中学校の授業にほとんど出られないまま、この学校で単位をそろえた子もいたはずです。


「入るのがムズい」と言われるわけ

偏差値の低い学校に「入るのが難しい」はおかしい、と思うのが普通の感覚ですが、六本木高校の場合、数字の上でもこの言葉はあながち外れていません。

東京都教育委員会が公表している応募状況では、募集人数のおよそ1.7〜2倍の人が出願する年が続いています。

2026年度の入試でも、募集200人に対して370人が願書を出していて、単純に計算すると、願書を出した人の半分近くは入れなかったことになります。

ここで言う「偏差値70近く」は学校の数字ではなく、その子自身の成績の数字のことです。

倍率が高いのは、六本木駅から歩いて行ける立地で、人が集まりやすいせいもあるでしょう。

 

そのうえ倍率の背景には、学校に通えない子どもの増加もあります。

文部科学省の調査では、2024年度に小・中学校で不登校だった子どもは35万人を超え、12年続けて増えて過去最多になりました。

中学で学校に通えなかった子が次の行き先に選べるチャレンジスクールは、都内に10校もなく、そこを受けたいという子が増えるほど、入試の倍率も上がっていくのです。

何年も部屋から出られなかった子にとっては、入試の朝に布団から出ること自体が、テストより高い壁になることもあります。


港区の裕福な家の子が集まる学校なのか

六本木ヒルズや高級マンションが並ぶ街の名前を聞けば、「港区に住むお金持ちの家の子が通う学校」を思い浮かべるのも無理はありません。

親が一代で財を成したものの、子どもの勉強にはお金をかけてこなかった家庭が多いのでは、と書く人まで。

 

ただ、東京都の都立高校には、住んでいる地域ごとに受けられる学校を分ける「学区」がなく、都内に住んでいれば、どの区や市からでも受験できる仕組みです。

六本木という地名は、学校の住所であって、生徒の住所ではありません。

授業料も国と東京都の支援で実質かからないので、高い学費を払える家だけが選べる学校でもないのです。

「一代で財を成した家の子が多い」という話は、地名から広がったイメージで、生徒の家庭について分かっていることは何もありません。

 

学校を知る人たちが口にするのは、お金の話より、全日制の高校に毎日通えなかったそれぞれの事情でした。

いじめ、体調、家庭のことと、学校へ行けなくなった理由はさまざまで、勉強の遅れは、学校に通えなかった時期の結果としてついてきたものだと、学校を知る人たちは書いています。


進学校の同級生殺害で見落とされた前ぶれ

では、偏差値の低い学校ほど、こうした事件が起きやすいのでしょうか。

比べてみたいのが、2014年に長崎県佐世保市で、高校1年の女子生徒が同級生の女子生徒を殺害した事件です。

2人が通っていたのは、九州大学や長崎大学に多くの合格者を出す、地元でも知られた県立の進学校でした。

 

そしてこの事件には、あとから分かった前ぶれがいくつも。

事件の4か月あまり前の2014年3月、少女は寝ていた父親を金属バットで殴り、大けがをさせていたと報じられています。

6月には、少女を診ていた精神科医が県の相談窓口に電話し、「人を殺しかねない」と伝えていたことも、事件のあとで明らかになりました。

そして7月26日、同級生は、少女がひとりで暮らしていたマンションで命を奪われることになります。

家庭裁判所が少女を医療少年院(心の治療を受けながら更生を目指す少年院)へ送ると決めたのは、それからおよそ1年後の2015年7月でした。

 

この事件のあと、何年にもわたって問われ続けたのは、家庭や周りの大人がどこで気づけたのかということ。

佐世保の事件では前ぶれが問われ、六本木の事件では偏差値が検索された。

数字が高いときには事件の理由にならず、低いときにだけ「だからか」と思えてしまうところが、偏差値という数字のやっかいさです。


前もって買った包丁と「裏切られた」の言葉

「短絡的な凶行」という言葉からは、カッとなってその場で手が出た、という場面を思い浮かべやすいものです。

ところが、今回の事件で報じられている事実は、その場面とかみ合いません。

報道によると、使われた包丁は、逮捕された生徒が前もって買い、学校へ持ちこんだものでした。

刃渡りはおよそ15センチで、生徒はそれを持って文化祭の初日を迎えた校舎に入り、現場とみられる3階の図書室で、同じ学年の生徒を刺したとされています。

駆けつけた警察官には「相手を殺して自分も死のうと思った」と話したといいます。

包丁を買った日と刺した日がどれだけ離れていたにせよ、少なくとも、その場の衝動だけで起きたことではありません。

 

動機について、逮捕された生徒は、ネットで中傷されたという意味のことを話し、刺された生徒については「親友だったが、裏切られた」と話していると、31日の時点で伝えられていました。

もっとも、「裏切られた」はあくまで逮捕された側の言い分で、誰からの中傷だったのか、2人のあいだで実際に何があったのかは、まだ分かっていません。

刺された生徒は命に別条はないとみられています。

逮捕された生徒は16歳で、少年の事件として、まず家庭裁判所(未成年の事件を、大人の裁判とは別の手続きで扱う裁判所)で扱われ、包丁を買うまでに何があったのかも、その手続きの中で調べられていくはずです。

 

そもそも六本木高校には、悩みを抱えた生徒の相談に、外の専門家も加わる仕組みがあります。

都が公開している学校案内によると、定期的な面談に加えて、スクールカウンセラーやユースソーシャルワーカー(福祉や就職の相談にのる専門職)、精神科医などが学校へ来ているとのこと。

事件のあとには、その仕組みがあっても防げなかったことを悲しむ声も上がっています。

相談できる大人がそばにいても、本人が口に出さない思いまでは、まわりからなかなか見えないもの。

 

2人の関係をめぐっては、ネットで学校の男女比を持ち出す人もいました。

進学情報サイトの集計では、2026年4月時点の生徒は女子446人・男子196人と、女子が全体の7割近くを占めていて、この数字を引いて「女子どうしのトラブルが多くなる」と予想する投稿まで出ています。

ただ、女子が多いこととトラブルの多さを結びつける材料はどこにもなく、今回の2人は、伝えられているかぎり「親友」と呼ぶほどの間柄でした。

事件そのものの流れは、こちらの記事でまとめています。

六本木高校の刺傷事件…ネットで中傷されたと話す16歳に何があったのか
六本木高校の刺傷事件…ネットで中傷されたと話す16歳に何があったのか2026年10月30日、文化祭の初日を迎えていた東京・港区の都立六本木高校の図書室で、1年生の女子生徒が同じ学年の女子生徒に包丁で刺され...


「やっぱりそういう学校」と言われた在校生

「やっぱりそういう学校なんだ」「人を刺してもおかしくない偏差値」といった言葉は、事件と関係のない大勢の在校生も目にできる場所で、そのまま飛び交いました。

文化祭の初日に校舎で同級生が刺され、楽しみにしていた2日目の一般公開は中止。

そのうえ一夜明けると、自分の学校の名前は、偏差値の数字と並べて語られるように。

 

そうした言葉に、地元に住む人が「生徒達に大変失礼です」と言い返した投稿もあります。

言い返された元のポストには生徒をひとまとめにする言葉が並んでいて、この学校をめぐる見方は、けなす側とかばう側にくっきり分かれました。

もっとも、640人あまりが通う学校に、いろいろな生徒がいるのは当たり前のこと。

まるごとけなすのも、まるごとほめるのも、ひとりひとりの姿からは同じくらい離れてしまいます。

確かに言えるのは、事件と関係のない在校生たちが、それぞれの事情を抱えたまま、もう一度学校へ通っているということ。

 

事件そのものに目を戻すと、包丁を買ってから文化祭の初日に校舎へ入るまでには、短くても、引き返せたはずの時間がありました。

凶行を生んだのは偏差値の数字より、「裏切られた」という思いが包丁を買うところまで進んでしまった、その時間だったのかもしれません。