山頂で読み上げられた手紙が1通と、ふもとから届いた声が1つ。

その日の中継で、最後まで聞けたのは手紙のほうだけでした。

 

義足の女の子が、3,000メートルの山に登りきったところです。

泣きながら、お母さんへの手紙を読み上げました。

ふもとにいるお母さんの声が、イヤホン越しに山頂へ返ってきます。

「パパも(娘の名前)をずっと応援していたよー」

その途中で、画面が東京の会場に切り替わりました。

 

この場面を切り取った動画に「24時間テレビ史上、これ一番ゾッとする放送事故かも」という一行が添えられて、9月1日のうちに330万回以上表示されています。

リプ欄に並んでいたのは「一番いいとこだったのにね」「何があったん?」「何を言おうとしてたんだ」でした。

 

ただ、これは今年の24時間テレビではありません。

2018年8月26日、午後4時になる少し前の出来事です。

もう8年も前になります。

 

私も、再生ボタンを押したときは今年のことだと思っていました。

年を知ったあとも、腹立たしさは1ミリも減っていません。

むしろ、少し増えたくらいです。

今回は、あの数十秒で何が起きたのか、お母さんの言葉の続きは分かっているのか、そして8年前の映像がどうして今日また回ってきたのかまで、順番にたどっていきたいと思います。


山の上で何が起きたのか…「パパも」の途中で画面が切り替わった

放送されていたのは、日本テレビの「24時間テレビ41」です。

2018年8月25日の18時30分から、26日の20時54分まで。

テーマは「人生を変えてくれた人」、会場は日本武道館でした。

総合司会は羽鳥慎一アナウンサーと水卜麻美アナウンサー、メインパーソナリティーはSexy Zoneです。

 

その中に、義足の女の子とイモトアヤコさんが北アルプスの立山に挑むという企画がありました。

女の子は当時12歳。

3歳のときに右足を切断したと報じられています。

26日の朝5時ごろに登りはじめて、10時間半かけて3,000メートルの頂上に立ちました。

 

山頂で、女の子が手紙を読みます。

将来はパラリンピックに出て活躍したい、という内容だったとのこと。

読み終わったところで、ふもとにいたお母さんにマイクが向けられました。

イヤホン越しに、山頂へ声が届きます。

「パパも(娘の名前)をずっと応援していたよー」

その途中で画面が武道館に切り替わり、続けてもう一度、別の場所にいたひょっこりはんさんの顔へ変わりました。

登りはじめてから10時間半かけて届いた声が、途中で切れています。


羽鳥アナが生放送のまま言った「いいんですか」

武道館へ戻された画面の中で、羽鳥アナが口を開きました。

「いいんですか、まだお母さんしゃべってましたけど…」

そのあと、もう一度。

「いいんですか…お母さんがしゃべっているのを遮るのはあまり…」

元の投稿には「ガチギレ」と書かれています。

実際に記録として残っている言葉は、この2つでした。

怒鳴ってもいませんし、誰かの名前も出していません。

言っているのは「まだ終わっていませんよ」という一点だけです。

 

生放送の司会が、放送に乗ったまま自分の番組の進行に口を出す。

これはその場の空気を壊す行為でもあります。

あと数十秒黙っていれば、次のコーナーが始まって、誰も気づかないまま流れていったはずの数十秒でした。

8年前のこの日に書かれた感想には、この一言をそのまま書き留めたものがいくつも残っています。


お母さんの続きの言葉は 8年経っても出てきていない

先に言ってしまうと、続きが何だったのかは分かりません。

 

日本テレビがこの切り替えについて説明や謝罪を出したという記録は、調べた範囲では見つかりませんでした。

放送のあとにお母さんのコメントが改めて流された、という記録も見当たりません。

その日の放送は、そのまま日曜の夜まで進んで終わっています。

分かっているのは、切られる直前まで聞こえていた一文だけです。

「パパも(娘の名前)をずっと応援していたよー」

主語は、お母さん自身ではありませんでした。

お母さんは、自分の話をしていなかったんです。

 

この先を家族に確かめに行った記事は、いくら探しても出てきません。

続きを知っている人は、この世に一人だけいます。

話すかどうかを決められるのも その人だけです。

 

8年前の同じ時間に、こう書いている人がいました。

今日のリプ欄にも、ほとんど同じ文が並んでいます。


8年前の40秒が今日また330万回…投稿に年が書かれていない

今年の24時間テレビ49は、2026年8月29日の18時30分から、30日の20時54分まで放送されました。

会場は両国国技館、テーマは「わたしの家族の話~あなたは誰を想う?~」です。

その放送が終わったのが、日曜の夜8時54分。

そこからおよそ32時間後にあたる9月1日の午前4時46分に、あの映像を切り取った投稿が上がりました。

その日のうちに950万回を超えています。

午後2時4分には、別の人が同じ映像を投稿して330万回。

どちらの投稿にも、「2018年」の4文字はありません。

 

この映像が回ったのは、今回が初めてでもないんです。

今年の5月9日の夜10時にも、同じ場面をまとめた投稿が840万回以上表示されています。

そこには「事件概要(2017年)」と書き添えてありました。

実際は2018年ですから、年のほうが1つずれたまま840万回読まれたことになります。

 

ちなみに今年の24時間テレビ49は、TVerでの全編リアルタイム配信が初めて行われた回でもありました。

放送のすべてが、テレビの前にいなくても見られた年だったわけです。

それでも回っているのは、8年前の40秒のほうでした。

 

そして、いちばん見分けがつかない理由がこれです。

羽鳥アナが総合司会に座ったのは2011年から、水卜アナは2014年からとのこと。

羽鳥アナはこの番組への出演回数でも2番目に多い13回を数えていて、つまり2018年も2026年も 同じ2人が同じ席にいます。

2018年の総合司会は、羽鳥慎一アナと水卜麻美アナ。

2026年の総合司会は、内村光良さんに羽鳥慎一アナ、そして水卜麻美アナ。

8年空いても 画面に映っている顔がほとんど同じなんです。

 

だから今日のリプ欄には「それでも羽鳥アナとミトちゃんは24時間テレビに起用できるんだ」という声もありました。

今年の放送の話だと読めば、そう書くのが自然ですよね。

 

同じ40秒が、今年だけで3回まわって、合わせて2,000万回を超えました。


生放送で人の言葉が切られるとき 現場で動いているもの

なぜあの瞬間に切ったのかは、公表されていません。

ですので、ここからは生放送というものの作りの話です。

 

生放送の番組には、秒の単位まで書き込まれた進行表があります。

24時間テレビのように長い番組ほど、中はぎっしり詰まっているとのこと。

そして中継先とスタジオの切り替えは、副調整室から指示が出て、スイッチャーと呼ばれる担当者が切り替えます。

 

ここで大事なのは、同じ番組を作っている人たちが、同じものを見ていないということです。

山頂のカメラは、目の前の女の子とイモトさんを追っています。

ふもとの中継班に映っているのは、お母さんの表情。

副調整室が見ているのは、残り時間と、次のコーナーの準備が終わったかどうか。

放送が予定より押していれば「巻き」の指示が飛びます。

感動の場面を切ってやろうと決めた人が、あの瞬間に一人いたわけではないのでしょう。

時間割のほうが、人の話が終わるのを待ってくれなかっただけです。

 

ただ、そう説明されたところで「じゃあ仕方ないね」とはならないですよね。

私もなりませんでした。

10時間半かけて登った子の、そのお母さんの言葉です。

ここを削らずに済ませる順番は、ほかにいくらでもあったはずでした。

進行表を作るのも、直すのも人です。


8年前の朝にも 同じことを書いている人がいました

今日のリプ欄でいちばん笑われていたのは、じつはひょっこりはんさんでした。

「ひょっこりはんも二次被害で草」「とばっちりを受けたひょっこりはん」。

その1つ前の画面で何が起きたかを知らないまま、大声で登場してしまった人です。

そして8年前にも、まったく同じことを書いている人がいました。

2018年8月26日と、2026年9月1日。

同じ映像に、ほとんど同じ文が並びました。

もし次に似たような動画が回ってきたら、いつのものかは30秒くらいで確かめられます。

  • ①画面のテロップで調べる/番組のテーマやサブタイトルは年ごとに違います。今回なら「人生を変えてくれた人」が2018年のテーマでした
  • ②同じ場面の投稿をもう1つ探す/同じ画で古い日付のものが出てきたら、古いほうが本当の時期です
  • ③当時の記事を探す/これだけ騒がれた出来事なら、必ずその日付のニュース記事が残っています

見抜けなかったから悪い、という話ではありません。

投稿する側が年を書いていないのですから、分からなくて当たり前です。

ちなみに、あの映像に「2018年」と書き添えて回している投稿は、私が見た範囲では1つも見つかりませんでした。

 

切られたのは、1分にも満たない中継です。

それが8年ものあいだ、こうして戻ってきました。

続きを聞きたかった人が、それだけいたということですよね。

 

山の上にいた女の子は、いま競泳の選手になっています。

2024年5月に横浜国際プールで行われたジャパンパラ水泳競技大会には5種目で出場し、100メートル背泳ぎと200メートル個人メドレーの2種目で優勝しました。

山頂の手紙に書いた夢のほうは、ちゃんと前へ進んでいたようです。

 

お母さんの言葉の続きは、これからも出てこないかもしれません。

それでも、ふもとから山頂へ声を届けようとした人がいたことだけは、切られたあとも残りました。

あの日いちばん長い距離を登ったのは、その声のほうだった気がします。