2026年10月2日、福原遥の結婚相手として名前が出たのは、サッカー日本代表の久保建英でした。

スマホの通知を見て「えっ、あの久保くん?」と声が出た人も、きっと多かったはずです。

福原遥がEテレの「まいんちゃん」として料理を作っていたころ、久保建英は海の向こうのバルセロナでボールを追いかけていた、同じ時代の子どもでした。

写真の左側、川崎フロンターレの水色のユニフォームを着ているのが、スペインへ渡る前の久保建英。

 

そんな少年が25歳になるまでを近くで見てきた記者や仲間は、口をそろえて「とにかく人懐っこい」と話します。

それなのに、福原遥との交際だけは、発表のその日まで誰にも気づかれていませんでした。

あの久保くんは今、サッカーファンからは「タケ」、そうでない人からは「福原遥の旦那さん」と、2つの名前で呼ばれています。

「福原遥の旦那の久保」と呼ばれた日本代表

ここで一緒に名前が出ている板倉滉は、2026年8月に女優の川口春奈と結婚した、日本代表の守備の要です。

しかも川口春奈と福原遥は同じ事務所(研音)の先輩と後輩なので、代表の仲間と事務所の先輩後輩が、わずか2か月のあいだに続けて夫婦になったことに。

サッカーをよく見る人にとって久保建英は、バルセロナで育ったメッシになぞらえて「日本のメッシ」と呼ばれ続けてきた、代表の看板選手。

ただ、ふだんプレーしているのは海の向こうのスペインなので、日本でその姿を見られるのは代表の試合くらいしかありません。

中学生の「久保くん」がたくましい大人になっていく途中を、サッカーを見ない人はほとんど見ないまま、いきなり結婚のニュースで再会したわけです。

久保建英の基本プロフィール

久保建英は、福原遥より3つ年下の25歳。

  • 名前:久保建英(くぼ・たけふさ)
  • 生まれ:2001年6月4日・神奈川県川崎市
  • 所属:レアル・ソシエダ(スペイン北部の街サン・セバスティアンのクラブ)
  • 背番号:クラブでは14番、日本代表では20番
  • ポジション:攻撃の選手(右サイドから仕掛けることが多い)
  • 話せる言葉:日本語・スペイン語・英語など

2016年、まだ15歳の中学生だった久保建英はFC東京の一員としてJリーグで歴代最年少の出場を果たし、大人たちに混じってグラウンドを駆ける細い背中が、くり返しテレビに映っていました。

同じ世代からは「サッカー小僧の友達が、学校のマドンナと結婚したみたい」という声も上がっています。

 

2人が直筆の署名を添えて出した報告文には、「お互い幼い頃から沢山の方の支えがあって今があります」という一文がありました。

子どものころから大勢の大人に見守られ、ときには好き勝手に騒がれもしてきた2人だからこそ書ける言葉だと、Xでもうなずく声が広がっています。

そんな「久保くん」の土台は、テレビに映るずっと前、ソファのないリビングから始まっていました。

ソファのないリビングで育った「天才」

「久保くんは天才だから」と思っていた人ほど驚くのが、子どものころの過ごし方です。

父親が2012年に出した本『おれ、バルサに入る! 夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方』(文藝春秋)には、久保家の毎日がそのまま書かれています。

リビングにはソファを置かず、大小いくつものボールを床に転がしておいて、赤ちゃんのころからいつでもボールに触れられるようにしていたそうです。

サッカーを始めたのは2歳で、朝は父親の出勤前に近くの公園へ出かけて親子でボールを蹴るのが日課になり、1年365日のうち350日はボールと一緒だったのだとか。

 

ただ、中身をのぞいてみると、いわゆるスパルタとは少し違います。

2歳の子がボールを蹴っているだけでもすごいとたくさんほめ、飽きたときに「あと少しがんばろう」と声はかけても、無理にやらせることはしなかったそうです。

朝の公園では「昨日なにがあった?」「だれと遊んだ?」と質問を重ねて考えて話すくせをつけ、最後の1対1は必ず子どもが勝って終わるようにしていました。

家にはおもちゃもテレビもほとんど置かず、外遊びははだしで、400冊ほどあった絵本では足りずに、図書館で毎週20冊以上を借りて読み聞かせていたそうです(ココカラネクスト)。

Xでは「やっぱり親の関わりがすごかった」とうなる声がある一方で、「同じように育てても、同じように育つとは限らない」という声も上がっています。

どちらの声にもうなずけますが、ボールを上手に蹴らせることより、ボールを最後まで「楽しいもの」にしておいた家だったからこそ、6歳の久保くんは「バルセロナに行きたい」と言い出せたのかもしれません。

結婚を発表した翌日の2026年10月3日、久保建英は記者の前で「育ててくれた両親、家族のために今まで頑張ってきましたけど、これからはまた違った家族のためにも頑張らないといけないなと思っています」と話しました(日刊スポーツ)。

10歳でバルサへ渡った久保くんのその後

久保建英のサッカー人生は、子どものころから国境をまたぐ「引っ越し」の連続です。

2011年、10歳でバルセロナの育成チームに入るためにスペインへ渡り、まだあどけない顔で、あの青とえんじのユニフォームに袖を通しました。

ところが2015年、受け入れたバルセロナの側が子どもの外国人選手をめぐるFIFAのルールに違反したとして処分を受け、本人には何の落ち度もないまま試合に出られなくなって、13歳で日本へ帰ってきています。

その後は16歳でFC東京とプロ契約を結び、2019年の夏、18歳で憧れのレアル・マドリードへ。

ただ、外国籍の選手の枠に空きがなく、籍を置いたままほかのクラブへ武者修行に出る「期限付き移籍」が3年続きました。

 

マジョルカ(2回)、ビジャレアル、ヘタフェと、1年ほどで荷物をまとめては知らない街へ移り、新しいロッカールームで、また一から仲間の輪に入っていく暮らし。

そんな日々をくり返して、2022年にレアル・ソシエダへ完全移籍し、ようやく腰を落ち着けています。

10歳からの約4年と、18歳からの7年あまりを足すと、25年の人生の半分近くがスペイン。

結婚発表の前日に公開されたUEFAのインタビューでは、流ちょうなスペイン語で「できるだけ早くヨーロッパの舞台に行きたいと思っていましたが、僕の場合は18歳からしかスタートできませんでした」と、遠回りの日々を振り返っていました。

2度在籍したマジョルカも、日本語の公式アカウントで結婚を祝っています。

武者修行で預かっていただけの選手の結婚を、チームを離れたあとまでこうして祝ってもらえるのは、短い間でもマジョルカで愛されていた証拠ですよね。

「バインダーって何すか?」と聞いた13歳

久保建英の物おじのなさは、13歳のころから筋金入り。

初めて年代別の日本代表に呼ばれた合宿で、監督がみんなの前で「初めて来た選手はバインダーもらった?」と聞くと、久保建英は大きな声で「バインダーって何すか?」と聞き返したそうです(スポニチ)。

年上ばかりの中でもまったく縮こまらず、A代表に入ってからは、長友佑都や吉田麻也のような一回り以上年上のベテランの懐にも、すっと入りこんでいったといいます。

 

記者に囲まれる取材の場でも、その調子は変わりません。

試合後、いちばん前の記者の録音がまだ始まっていないのに気づくと、「待ちましょうか?」とおどけてみせ、まわりを笑わせたこともありました(日刊スポーツ)。

2024年のアジアカップでチームの盛り上げ役だと言われたときも、「僕よりいい意味でうるさかった長友選手が抜けたことで、僕のうるささが目立っているだけ」と、先輩をいじりながら笑いに変えています。

本人いわく、こうした性格は「いろんなチームを渡り歩いてきたので自然と身に付いたもの」。

子どもたちを相手にしても、その気さくさは同じです。

W杯のケガの日に「僕が払うんで」

2026年6月の北中米ワールドカップで、久保建英は初戦でケガをして、続く試合に出られなくなりました。

チームが試合会場へ向かい、ケガをした選手としてただひとり大会中の拠点(ベースキャンプ)に残された日、久保建英はふだんあまり話す機会のない裏方のスタッフにまで「ご飯行きましょうよ、僕が払うんで」と声をかけていたそうです(日刊スポーツ)。

いちばん悔しいはずのその日に、自分と同じように残された人たちのことを真っ先に気づかえるのが、久保建英という人なのだと思います。

大会中には、コーチの中村俊輔もチームの前でこう話していました。

「サッカーで自信がなかったことはない」の強さ

久保建英の心の強さがよく分かるのが、2024年6月のイベントで、高校生から「どうしたら自信を持ってプレーできるか」と聞かれたときの答えです。

「サッカーに関しては自信がなかったことがない」と言い切ったうえで、「過信したらいけないと思いますけど、自信は自分でしか得ることができないもの」と続けていました(日テレNEWS)。

16歳だった2017年には、U-18の日本一を決めるユースの全国大会の決勝に「行けます。去年出ていないので」と自分から出場を申し出て、本当にゴールまで決めています(サンスポ)。

 

お金よりプレーの中身を選ぶところもぶれず、サウジアラビアからの高額なオファーを断ったときの「僕は良いサッカーが好きであって、高額なサッカーが好きなわけじゃない」という言葉は、スペインの新聞でも取り上げられました(THE DIGEST)。

10歳のころから、大人の決めたルールひとつで試合に出られるかどうかが変わる場所で戦ってきた人の「自信は自分でしか得られない」には、ずしりとした重みがあります。

ワールドカップを前にした2026年5月には、ファンの前でこう宣言していました。

25歳で任されたキャプテンマーク

大人たちに混じってピッチを走っていたあの中学生が、日本代表では、もうすっかり後輩を引っぱる側。

2025年6月10日のインドネシア戦では、森保一監督から左腕に黄色いキャプテンマークを託され、自分のゴールとアシストで6対0の大勝を引っぱりました。

森保監督は試合後、「言葉、プレーでも引っ張っていこうという姿勢が素晴らしかった」と手放しでほめています(日刊スポーツ)。

 

当の本人は前日に「そもそも僕リーダー気質じゃない」と言いつつ、「人とコミュニケーション取るのは得意なので、そういった部分で潤滑油みたいな存在になれたら」と話していました(FOOTBALL ZONE)。

その「潤滑油」ぶりがよく出たのが、2026年9月24日の強豪ウルグアイ戦。

決勝ゴールを決めたばかりの後輩・塩貝健人が、興奮して相手のベテラン選手ともみ合いになりかけたんです。

すると久保建英はすぐに2人の間へ割って入り、得意のスペイン語で相手をなだめながら、塩貝を止めていました(ABEMA TIMES)。

4日後のベネズエラ戦では、試合終了間際に自分が倒された場面で、この日キャプテンマークを巻いていた伊東純也に「絶対ファウルだから言って」と伝え、判定はVARの確認を経て日本のPKに変わっています(FOOTBALL ZONE)。

25歳の誕生日には「ちょっと大人になったかなと思います。若い選手も出てきたし」と話していた久保建英(日刊スポーツ)。

家では3つ年下の夫でも、日の丸を背負えば、もう後輩をかばう頼もしいお兄さんになっていたんですね。

173cmで勝負するサッカーIQ

身長173cmと小柄な久保くんが、体の大きなヨーロッパの選手たちと渡り合ってこられたのは、頭の回転の速さがあったから。

FC東京U-18時代の監督は「タケは何が求められているのかをすぐ理解する」と話し、練習の「抜け道」を見つけるのも「ものすごく才能があった」と振り返っています(サンスポ)。

指導者が練習に込めた狙いを一瞬でつかんで、その裏まで読んでしまう力は、試合で相手の守りのすき間を見つける力と同じもの。

 

頭の回転の速さは言葉にも出ていて、2022年のカタールワールドカップで日本がスペインに逆転勝ちしたあと、スペインのメディアにジョークを交えたスペイン語で答えた受け答えは、ネットで大きな話題になりました。

物おじしない話しぶりは、スペインでもすっかりおなじみです。

チームメイトのブライス・メンデスは「天真爛漫を絵に描いたような性格だ」と笑い、スペインのスポーツ紙スポルトも2025年2月、「周りが言ってほしいことではなく、思ったことをそのまま口に出す」選手として特集を組んでいます(THE DIGEST)。

遠慮なく口にしても嫌われるどころか、記者にもロッカールームの仲間にも面白がられてしまうところに、この人の人柄の良さが出ているのかもしれません。

エクアドル戦で割れた日本とスペインの評価

結婚発表の前日、2026年10月1日のエクアドル戦の久保建英は、日本とスペインの新聞で、まるで別人のように書かれていました。

試合はキリンカップの一戦で、0対0のままPK戦にもつれこみ、日本が勝っています。

先発した久保建英は点を取れないまま後半の途中で交代していて、スペインのスポーツ紙アスの評価は「先発した久保は、ほとんど存在感を示せなかった」と手厳しいもの。

 

ところが日本のフットボールチャンネルは、狭いスペースでの鋭いターンやドリブルで「多くの局面を打開した」と、持ち味が出た試合として評価しています。

前半には、息の合った堂安律とのパス交換で右サイドを崩し、スタジアムが沸く大きなチャンスも作っていました。

もっとも、手厳しかったそのアスも、ほんの3日前のベネズエラ戦では、日本の勝利につながるPKを勝ち取ったのは久保建英だと書いた新聞でもあります。

子どものころから「天才」と持ち上げられ、うまくいかない日には厳しく書かれてもきた久保くんにとって、新聞の評価が試合ごとに上がったり下がったりするのは、きっと慣れっこの景色でしょう。

6組中5組が姉さん女房の日本代表

久保建英の結婚で、もうひとつ話題になったのが、「サッカー日本代表には年上の奥さんが多いのでは?」という声。

日本代表の選手と女優の結婚に絞って、2人の生まれ年を並べるとこうなります。

  • 長友佑都(1986年生まれ)×平愛梨(1984年生まれ)=妻が年上
  • 槙野智章(1987年生まれ)×高梨臨(1988年生まれ)=妻が年下
  • 柴崎岳(1992年生まれ)×真野恵里菜(1991年生まれ)=妻が年上
  • 谷口彰悟(1991年生まれ)×泉里香(1988年生まれ)=妻が年上
  • 板倉滉(1997年生まれ)×川口春奈(1995年生まれ)=妻が年上
  • 久保建英(2001年生まれ)×福原遥(1998年生まれ)=妻が年上

妻が年下なのは、槙野智章と高梨臨のたった1組だけ。

 

2人の交際でも、先に好きになって1〜2年のあいだ思いを伝え続けたのは久保建英のほうだったと、NEWSポストセブンなどが報じています。

13歳で年上ばかりの年代別代表に物おじせず飛び込んでいった少年なら、3つ上の相手にも気おくれしなかったのでしょうね。

2人の馴れ初めについては、久保建英と福原遥の馴れ初め|交際を隠し通せた背景や相性がすごかったもどうぞ。

福原遥と重なる左利きと差し入れの気配り

久保建英と福原遥には、2人を並べてみて初めて気づく共通点があります。

まずは、2人とも左利きだということ。

久保建英は小さなころから左足ひとつで相手をかわしてきた選手で、福原遥も実は左利きだと、2022年12月に朝ドラ「舞いあがれ!」の公式アカウントが明かしていました(サンスポ)。

演じた舞が右利きだったので、撮影ではわざわざ利き手と反対の右手でヒラメをさばき、料理指導の先生に、まいんちゃん時代の番組名にかけて「さすがは元クッキンアイドル!」と感心されたのだとか。

子どものころの料理番組でも、役に合わせて右手で包丁を使えるように練習したと伝えられていて(iza)、見えないところでこつこつ努力してきたことがうかがえます。

 

もうひとつは、まわりの人への気配りの細やかさ。

2025年11月、映画「楓」の舞台あいさつで、共演したTravis Japanの宮近海斗が、撮影の合間に福原遥から「コーヒーは何が好きですか?」と聞かれた話を明かしています(オリコンニュース)。

自分にだけ差し入れてくれるのかと喜んでいたら、支度場に戻るとみんなが片手にコーヒーを持っていて、全員に好みを聞いて回っていたと分かったそうです。

久保建英にも、よく似た話があります。

練習の前によくやる「鳥籠」は、輪になった選手たちがパスを回し、真ん中の選手がひたすらボールを追いかけるメニューで、真ん中はずっと走らされる損な役。

2019年に日本代表に初めて呼ばれてから5年ほど、久保建英は毎回いちばんに「僕、中に入ります」と言って、その大変なほうを自分から引き受けていたそうです(GOETHE)。

長く取材してきた記者は、スペイン育ちとは思えないほど、礼儀作法が日本的で生真面目だと書いていました。

共演者ひとりひとりに好みを聞く福原遥と、自分から輪の真ん中に入る久保建英は、誰に言われなくても人のために一歩動けるところが、本当によく似ています。

共演者たちが明かした福原遥の素顔については、福原遥の評判が良すぎて神|共演者とファンが明かす知られざる素顔もどうぞ。

まいんちゃんファンが安心した匂わせなしの交際

子どものころから応援してきた人が結婚すると、うれしい半面、相手がどんな人なのかがどうしても気になりますよね。

福原遥には、まいんちゃんの時代から10年以上応援し続けてきたファンもたくさんいます。

そんなファンの目から見て、久保建英の株をぐっと上げたのが、発表のその日まで交際を1ミリも匂わせなかったことでした。

2人の交際に気づいていた人は、記者を含めてほとんどいなかったと言われています。

 

久保建英が身近な人を守ろうとするのは、今回が初めてではありません。

2025年の秋には、スペインで一緒に暮らしていた母と、セレッソ大阪への加入が決まった弟の瑛史が、そろって日本へ戻っていました。

その年の11月の会見で、クラブでの不調を「1人暮らしが影響しているのでは」と結びつけて聞かれたとき、久保建英は珍しく不快感をあらわにしています(東スポWEB)。

「家族は大好き」と口にしたうえで、「特に母と弟が巻き込まれることは絶対に許せません!」とまで言い切っていました。

まいんちゃんを見て育ったファンにとって、大切な人を世間の詮索から守ってくれる相手なら、安心して送り出せるはずです。

雷雨の中で4歳の女の子の絵を受け取った日

子どもを前にした久保建英は、ピッチの上の勝ち気な姿からは想像できないほど、柔らかい顔を見せます。

2026年6月8日、ワールドカップのキャンプ地になったアメリカ・ナッシュビルのホテルに日本代表のバスが着いたとき、日本代表のユニフォームを着た4歳の女の子の声に、久保建英は足を止めました(中日スポーツ)。

激しい雷雨の中を家族と待ち続けた女の子が差し出したのは、久保建英と自分が並んだ絵に「からだにきをつけてください」と書き添えた1枚。

久保建英はその絵をじっと見つめてほほ笑み、一家4人との記念撮影にも応じています。

 

2024年11月には、ワールドカップ予選で訪れたインドネシアのジャカルタで、空港から練習場へ直行したその日に、見学に来ていた日本人クラブの子どもたち約50人のために即席のサイン会を開きました(ゲキサカ)。

長い列に並んだ一人ひとりのユニフォームや色紙にサインをして、来られなかった子の分まで気にかけていたそうです。

記者に聞かれると「当たり前じゃないですかね」と返し、「僕も子どもの頃、プロの選手によくしてもらってるんで」と続けています。

バルセロナでプロの選手によくしてもらっていた小さな久保くんが、今度はよくしてあげる側に回っているんですよね。

家族に向ける顔も、同じようにやさしいものです。

2026年6月14日(現地時間)、ワールドカップ初戦のオランダ戦で左ひざを痛め、途中でピッチを退いた日のこと。

久保建英は試合のあと、左足を引きずりながら自分の足で観客席への階段を上がり、見に来ていた弟の瑛史たちと言葉を交わしていました(FOOTBALL ZONE)。

スペインのDAZNは、その姿を「家族を心配させるよりも、痛みを抱えながら歩くことを選んだ」と伝えていました。

子どもの声には足を止め、家族にはまず心配をかけまいとする、自分より先に相手の気持ちを考える人なのだと思います。

占いで見る久保建英の性格・恋愛観・父親像

ここからは少し肩の力を抜いて、久保建英の生年月日、2001年6月4日を占いに当てはめてみると、こんな結果に。

  • 九星気学:八白土星(はっぱくどせい)
  • 数秘術:4
  • 星座:双子座

八白土星は、どっしりとそびえる山の星。

雨が降っても風が吹いても山がそこから動かないように、一度決めたことを黙々と積み上げる粘り強さと、人生の大きな曲がり角を何度でも越えていく力を持つと言われています。

10歳で海を渡り、13歳で日本へ帰され、18歳でもう一度スペインへ戻って、4つのクラブを渡り歩きながら自分の居場所をつかみ取った歩みを思い浮かべると、うなずける人も多いはず。

数秘術の4は、レンガを1つずつ積んで家を建てるような、まじめな努力家の数です。

鳥籠の練習で5年も真ん中を引き受けていた姿は、まさにこの「レンガを積む人」。

そこへ、くるくると表情を変える双子座の好奇心と、頭の回転の速さ、話し上手なユーモアが乗っかるのが、久保建英のおもしろいところ。

13歳で「バインダーって何すか?」と聞き返した物おじのなさも、記者を笑わせるジョークも、この双子座らしい軽やかさから来ているのかもしれません。

山のどっしりした土台の上を、双子座の風が楽しそうに吹き抜けていく人、と言えばイメージしやすいでしょうか。

 

恋愛では、八白土星は雲のかかった山の頂上のように、なかなか心の中を見せない慎重派。

そのかわり、この人と決めたら、何年でも同じ場所で待ち続けるような一途さを持つとされています。

数秘術の4も、駆け引きより誠実さを大事にする数で、記念日を忘れずに花束を抱えて帰ってくるような、まっすぐな愛し方をするタイプ。

3つ年上の福原遥に1〜2年思いを伝え続けたと報じられているのも、慎重なのに一途という占いの結果どおりですよね。

しかも双子座は、恋人とも友だちのように何でも話せる関係を好むと言われるので、2人きりの食卓では、試合の話から好きなテレビ番組の話まで、久保建英のほうがずっとしゃべっていそうな気がします。

 

そして父親像。

八白土星は家族を受け継いで守る星で、お正月に親や兄弟がわいわい集まる、そんなにぎやかな家の真ん中にいるのが似合うと言われています。

数秘術の4は、「ごはんの前には手を洗う」「寝る前は歯みがき」といった家のルールをきちんと決めて、帰ってくるとほっとする家をつくる、頼れる大黒柱の数です。

そこに双子座の好奇心が重なると、週末の公園で子どもと一緒にボールを蹴りながら、「なんで?」「どうして?」にとことん付き合ってくれる、友だちみたいなパパの姿が浮かんできます。

母親に絵本を読んでもらって育った人なので、寝る前の読み聞かせも、案外いちばん楽しんでいるのはパパのほうかもしれません。

福原遥も、2019年のイベントで「子どもが大好きなので、自分の家庭を持ちたいのも昔から考えています」と話していました(オリコンニュース)。

九星気学で見ると、1998年8月28日生まれの福原遥は二黒土星(じこくどせい)で、久保建英の八白土星とは同じ「土」の星どうし。

二黒土星は種をまいて育てる畑の土、八白土星はどっしりそびえる山の土。

山のふもとに畑が広がる景色のように、同じ土どうしは価値観が近く、一緒にいると自然と落ち着ける組み合わせなんです。

占いはあくまで楽しみのひとつですが、雷雨の中で4歳の子の絵を受け取って笑っていた人なら、子どもの話を最後まで聞いてくれるパパになってくれそうな気がします。

結婚後の初戦で生まれた先制点

結婚後の初戦となったのは、2026年10月5日にMUFGスタジアム(国立競技場)で行われたキリンカップの決勝、ニュージーランド戦です。

東スポWEBによると、トロフィーが懸かる決勝とはいえ、エクアドルより格下の相手で勝って当たり前と見られ、「消化試合」のような扱いだったのが、結婚の発表で一気にお祭りのような一戦になりました。

久保建英本人も試合の2日前、10月3日の取材で「キリン杯は最近取れていないっていう話もあるので、いい流れで次の活動につなげられるように、最後も勝てたら」と話していました(日刊スポーツ)。

当日はトップ下で先発し、前半28分、右サイドをゴールライン近くまでドリブルで運んだところから、上田綺世の先制ゴールが生まれています。

自分のゴールこそなく、後半19分にベンチへ下がりましたが、後半26分に堂安律が勝ち越し点を決めて日本は2対1で勝ち、15年ぶりにキリンカップを制しました(中日スポーツ・スポーツ報知)。

試合後には、先制点を決めた上田綺世への言葉も話題になっています。

自分の浮き球のパスを上田綺世が胸で止めた場面をふり返り、「普通のフォワードだったらたぶん胸トラップできないと思うんですけど」と前置きして、「能力の高さとか謙虚さはすごい」とほめたのです(サッカーダイジェスト)。

上田綺世のほうも「相当パスが上手だったと思います」と返していて、お互いに相手を立てるやりとりになりました。

スタンドで背番号20のユニフォームを着た妻が見守るなか、試合後に口にしたのは「より責任感持ってプレーしないと」という言葉でした(中日スポーツ)。

妻の観戦を聞かれて「試合見に来るのは初めてじゃないんで」とほほ笑んだあとに、続けたひと言だったそうです(デイリースポーツ)。

結婚の話を振られても、返ってくるのがサッカーの言葉になるところは、やっぱり久保建英らしいですね。

スペイン地元紙の「私生活を明かさない人」

久保建英が暮らすスペイン北部サン・セバスティアンの地元紙ノティシアス・デ・ギプスコアは、結婚を伝える記事で、久保建英を「私生活を明かさないことで知られる」選手と紹介しました(FOOTBALL ZONE)。

同じ街の新聞エル・ディアリオ・バスコは「秘密の交際を経て」と驚きをこめて書き、福原遥が「サン・セバスティアンに来るかどうかは、まだ明らかになっていない」と、2人の暮らしにも関心を寄せています。

当の久保建英は、発表の翌日の2026年10月3日、千葉市内での代表の練習のあとに、記者の質問に答えました。

左手の薬指に指輪をつけて現れ、「おめでたいことなので。幸せということを僕の口から言えたら」と、大勢の記者を前に言葉を選んでいます(日刊スポーツ)。

馴れ初めを聞かれると「聞きたかったら、ここからは事務所に聞いてください」と冗談でかわし、4分ほどたつと「すみません、もうそろそろサッカーの話でもいいですか?」と、自分から話を切り上げたそうです。

私生活は語らないまま、幸せだということだけは自分の口で伝えるところに、いかにも久保建英らしい線の引き方が出ていますよね。

 

2人の報告文にも、新居をどこに構えるのかは一切書かれていません。

日本代表の選手と結婚した女優の先輩をふり返ると、2017年に長友佑都と結婚した平愛梨は、結婚と同時に夫のいるイタリアへ移り、仕事をいったん休みました。

2018年7月に柴崎岳との結婚を報告した真野恵里菜も、その2か月後には柴崎のいたスペインへ生活の拠点を移しています。

 

ただ、関係者の話では、福原遥はこれまでどおり日本で女優の仕事を続けるとされています(スポーツ報知)。

一方の久保建英は、ソシエダとの契約が2029年まで残っていて、しばらくはスペインが仕事場。

伝えられているとおりなら、2人の仕事の拠点は、日本とスペインという遠く離れた2つの国に分かれることになり、夫について海外へ渡った先輩たちとは少し違う形の結婚になりそうです。

どこで暮らすことになっても、記者を笑わせ、スタッフをご飯に誘う人が最後まで胸にしまっておいた相手だと思うと、指輪をそろえた2人の笑顔は、いっそう特別に見えてきますね。