床に座り込んで、顔を上げられずにいる選手がいました。

その隣に、同じ高さで腰を下ろした選手がいます。

肩を抱くでもなく、何かを言うでもなく、ただ隣に。

バレーボール女子日本代表のキャプテン石川真佑選手と、リベロの小島満菜美選手です。

この場面を切り取った投稿に「誰も悪くない」という一行が添えられていて、9月1日の朝には広く回っていました。

ただ、この一行にうなずいた人ほど、どこかモヤモヤしているんじゃないかと思うんです。

誰も悪くないのなら、あの涙はいったい何なのか。

じつはその答えは、バレーという競技の作りそのものにありました。


準決勝で消えていた五輪の切符

その投稿が、これです。

2026年8月29日、中国・天津で行われたバレーボール女子アジア選手権の準決勝。

日本はタイに1対3で敗れました。

この大会がふつうの国際大会と違うのは、ロサンゼルス五輪の出場権が優勝した1か国にしか与えられないところです。

準優勝でも、3位でも枠はありません。

つまり日本にとっての五輪への近道は、決勝に進む前の、あの1試合で閉じていました。

 

しかも相手のタイには、世界の強豪が集まって毎年夏に行われるネーションズリーグで、7月9日に3対1で勝っています。

7月に勝った相手に 8月に負けた。

この順番が、悔しさをよけいに濃くしたんじゃないでしょうか。

そして翌8月30日、日本の3位決定戦。

イランに3対0で勝ち、銅メダルを手にします。

2027年のワールドカップ出場権もここで取りましたから、最後の試合は、勝って終わっているんです。

それでも、コートの上には泣いている選手がいました。


バレーは一人ではミスができない

バレーボールには、ほかの競技にはない作りがひとつ。

バレーボールで1点を取るとき、ボールは必ず複数の人の手を経由します。

相手のサーブやスパイクを受ける人がいて、そのボールを上げる人がいて、最後に打つ人。

この3タッチで相手コートへ返すのが、基本の形になります。

 

ということは、最後のスパイクが決まらなかったとき、原因は打った人だけにあるとはかぎりません。

上がってきたボールの高さが、ほんの少しずれていたのかも。

その前の1本が、ネットから遠いところへ返ってしまった可能性もあります。

さらにその前の、相手のサーブそのものが厳しかったのかもしれませんよね。

 

ミスは点として記録されますが、その原因は前の1本と そのまた前の1本に散らばっています。

野球の打席や、サッカーのPKのような、一人で完結する場面がほとんどないからです。

 

例外は、1つだけあります。

サーブです。

誰にも邪魔されず、自分のタイミングで打てるかわりに、失敗すればまっすぐ相手の得点になります。

そのサーブでさえ、強く打つのか、確実に入れるのかは、その場のチームの流れしだいでした。

ここがバレーの、いちばん残酷でいちばん美しいところだと思っています。

ちなみに、泣いている石川選手の隣に座った小島満菜美選手は、リベロというポジションです。

リベロは守るための専門職で、スパイクも ブロックも サーブも打ちません。

ユニフォームの色だけが一人違うので、テレビで見ると一目で分かります。

点を取る役ではないので、勝った日のハイライトにはあまり映りません。

その人が、床に座り込んだキャプテンの隣にいた。

 

同じ場面に気づいていた人が、ほかにもいました。

マナミンは小島選手、ユッコは和田由紀子選手の愛称です。

負けて悔しいのは自分も同じはずなのに、先に人のところへ行きました。

 

つないで、拾って、つなぐ役の選手だったわけです。

石川選手自身も、帰国後の会見でこう話していました。

「人と人とのつながり、見えないところのつながりという部分が少し欠けていた」

見えないところの繋がり。

それがこの競技の本体なので、うまくいかなかったときも、責任は誰か一人の名前に収まってくれません。

 

「誰も悪くない」は、選手をかばうための優しい言葉ではなく、競技の仕組みを そのまま言い当てた一行でした。


それでも謝るのはいつも同じ人

ところが、です。

誰も悪くないはずの負けのあとで、一人だけが名前つきで謝ることになります。

8月31日、帰国した日本代表の会見。

石川選手はこう言いました。

「その期待に応えることができなくて、本当に申し訳ないと思っています」

この会見を伝えたニュースの見出しは、「バレー女子が帰国 会見で主将謝罪」でした。

 

この見出しは、冒頭の「誰も悪くない」の投稿よりもずっと遠くまで回っています。

負けた翌日にいちばん遠くまで届くのは、いつも「謝罪」の2文字なんですよね。

ここに、小さなねじれがひとつ。

石川選手は、キャプテンであると同時に、点を取るポジションの選手でもあります。

つまりミスが数字として記録に残る側にいて、なおかつチーム全体を代表して口を開く役でもあるわけです。

 

責任がぼんやり散らばっている競技なのに、謝る役だけは一人。

この落差が、負けた翌日にいつも同じ場所へ言葉を集めてしまいます。

実際、投稿への返信欄には「キャプテンを他の人に変えられないのかな」「石川選手が力を発揮できないで世界と戦うのは無理すぎる」という書き込みも並びました。

こういう声が出るのを止められるとは思っていませんし、それは悔しさの裏返しでもありますから。

ただ、石川選手はキャプテン2年目で、この春の取材でも「キャプテンとしてのあり方」に悩み続けてきたと話していました。

点を取ることと、みんなをまとめること。

その2つは 同じ人の中で仲が悪いんですよね。

 

同じところに引っかかった人が、こう書いていました。

責める言い方ではなく、役割の置き方を心配する声です。

 

いちばん先に謝った人が いちばん悪かった人とはかぎりません。

だいたいは、いちばん引き受けようとした人のほうです。


反省に「コミュニケーション」が出てきたこと

あの会見で石川選手が反省点として挙げたのは、技術でもフィジカルでもありませんでした。

「人と人とのつながり、見えないところのつながりという部分が少し欠けていた」

この一言が、ずっと引っかかっています。

 

というのも、コミュニケーションは本来 いちばん外から見えないものだからです。

ベンチの中や、ラリーの合間の一瞬に起きていることなので、テレビの前からは分かりようがありません。

ところが今回は、外から見ていた人にも見えていました。

冒頭の投稿にも「勝ってたのにチームの動きが違っていた」と書かれています。

「答え合わせが出来てしまった」。

この言い方が、いちばん正確なのかもしれません。

画面越しに見えるくらいなら コートの中ではもっと。

 

バレーの試合を見ていると、選手がコートの上でずっと何か叫んでいますよね。

あの声が何なのかを知ると、この反省の重さが変わります。

ラリー中に選手が出している声は、じつは励ましではありません。

ほとんどが役割の確認です。

ブロックで指に当たったことを伝える声、自分が拾うと宣言する声、任せると伝える声。

ボールが落ちてくる前に、誰が触るのかを決めるための情報です。

だから声が減ると、結果は2つの形ではっきり出ます。

  • お見合い=どちらも行かず ボールが床に落ちる
  • かぶり=2人が同時に入って 体がぶつかる

どちらも、そのまま相手の得点になりました。

つまりバレーのコミュニケーションは、点に直結する技術の一部ということになります。

石川選手が「メンタルはスキルにつながってくる」と話したのも、たぶんここでしょう。

 

試合のあと、石川選手はこうも話しています。

「もっと一緒になって頑張ってくれるメンバーを増やしていかなきゃいけない」。

ひとりで抱えないための言葉を、ひとりで探していたことになります。

 

このチームのスローガンは、こうでした。

「つなげ。限界は、まだ先にある。」

つなぐことを掲げたチームの主将が、つながりが足りなかったと言っていることになります。

もちろん、中で実際に何があったのかまでは分かりません。

 

仲が良かったのか悪かったのかも、外からは確かめようがないままでした。

外から分かるのは、主将が自分から いちばん言いにくいことを選んで口にしたという事実です。

一人ではミスができない競技なのに、そこで言葉が足りていませんでした。

そうなると、全員のミスが 全員のミスのまま残ります。

 

誰のせいにもできないので、誰も自分を許せません。

あの涙の後ろにあるのは、これだと思っています。


銅メダルなのに誰も笑っていなかった

銅メダルと、ワールドカップの出場権。

数字の上では持ち帰ったものがあるのに、表彰台の写真には笑顔がほとんどありませんでした。

石川選手の言葉を借りると、こうなります。

「自分たちの目指していたところには達していないので、もちろん今日勝てたことはよかったですけど、それ以上に、個人的には悔しさの残る大会だったなと思います」

この見出しにある、「初めて“救い”を求めた」という一節です。

いま代表にいない先輩たちへ、自分から連絡を取ったと書かれています。

キャプテンという役はチームの中では誰にも弱音を吐けない場所なので、もうそこにいない人たちのほうへ手を伸ばしました。

 

頼れる相手が 円の外にいたことになります。

そして、ここがあまり語られていません。

 

日本が五輪へ行くための次のルートは、2027年のワールドカップです。

その出場権こそが、あの3位決定戦で取ったものですから、泣きながら終わったあの日に、次の扉の鍵はもう手の中にあったことになります。

 

この先の日程が、これです。

9月4日から国内合宿に入り、9月16日にはアジア大会の初戦。

泣いた日から、2週間ちょっとしかありません。

 

元の投稿には「見限った少数のファンがいても」という一節がありました。

見限る側と、見限らない側。

その手前で、本人たちはもう十分すぎるほど自分を責めているんですよね。

外側が採点をはじめるより先に、当人の中ではもう終わっています。


石川真佑がいないアジア大会

その合宿を経て、日本代表は地元のアジア大会に入りました。

ただ、コートに石川選手の姿はありません。

2026年9月14日、石川選手は日本を発っています。

行き先はトルコで、新しい所属先はイスタンブールのエジザージュバシュ。

クラブが加入を発表したのは5月29日ですから、あの涙よりも3か月前に決まっていた話。

出国のときに残したのは、こんな言葉です。

「新しい環境でもっと成長する、大きな変化を求めてやっていきたい、ということがいちばんの決め手です」

もう新しいチームの練習試合に出ている様子も、ファンから流れてきました。

アジア大会でキャプテンを引き継いだのは、関菜々巳選手です。

そして9月18日、日本は格下のインドネシアに1セットを奪われます。

その夜には、「石川真佑不在で選手層の薄さが露呈」「今大会には出てないけど石川真佑がかわいそう」という書き込みが並びました。

あの日いちばん先に謝った人の名前が、本人のいない試合でまた呼ばれていたことになります。

責めるかたちが惜しむかたちに変わっただけで、一人の名前へ集める癖のほうは残っていました

 

これは悪意ではないはずです。

頼りにしていた人がいなくなると、その空いた場所がいちばん目につきますから。

ただ、その言い方はいまコートに立っている12人にも届きます。

いない人の名前で負けを説明すると、いる人の側が「代わり」として採点されるんですよね。


「誰かのせい」が湧いてきた日のために

この構造は、じつは体育館の外にもあります。

仕事の案件がうまくいかなかった日。

子どもの行事がバタバタのまま終わった日。

誰かのせいにしたい気持ちが、ふっと湧いてくることがあると思うんです。

 

誰かが決めて、誰かが動いて、誰かが最後の一手を担当する。

そんなふうに役割が分かれている場所では、うまくいかなかった理由もきれいには分かれてくれません。

そういうとき、私は3つだけ自分に聞くようにしています。

  • その結果は、たった一人の手で作られたものか
  • いま名前が出ている人は、決めた人か。それとも謝る役の人か
  • その人は、もう自分を責めていないか

1つめは、責任が本当に一人に集まるのかを見るためのもので、バレーと同じく、たいていの結果は誰かと誰かの間で作られているからです。

2つめが、いちばん効きます。

会見で頭を下げる人と、その方針を決めた人は、別のことがほとんどですから。

3つめは言葉を届けるかどうかの分かれ道で、もう十分に責めている人へ外からもう一発足す意味はありません。

3つとも当てはまらないなら、たぶんその怒りは行き先を間違えています。

謝罪のニュースに、こう返していた人もいます。

短い2行ですが、いちばん強い返し方だと思っています。

この負けのあとには、選手の見た目をめぐる批判も広がりました。

そちらは別の記事で整理しています。

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もう一度、あの床の上の場面です。

 

小島選手は、泣いている石川選手に「気にするな」とも「切り替えよう」とも言いませんでした。

ただ、同じ床に座っただけです。

誰も悪くない、というのは 責任を宙に浮かせる言葉ではありません。

責任が一人には収まらない、という事実の言い方でした。

だとしたら、外にいる私たちにできることも、そう多くはないのでしょう。

責める人になるか 隣に座る人になるか。

選べるのは、そこだけです。