2026年9月15日、新宿・歌舞伎町のバー「東京砂漠」が、カウンターで働く女性スタッフの訃報を出しました。

命日は9月9日で、遺族から店舗へ悲痛な知らせが入ったと書かれています。

28歳でした。

田口あわさん。

2022年にTwitter(現X)で爆発的に広まった「サイゼで喜ぶ妻」の写真に写っていた、あの人です。

水着のグラビアでは白鳥あわ、夜の街では「膣ギロチン」と、場所によって名義を使い分ける人でした。

 

店が出した文書に、死因は書かれていません。

ところが訃報から一日ほど経ったころ、生前に共演したことのある女性タレントが「まさかの交通事故で」と書いた追悼の投稿が流れてきました。

そしてその投稿は、いまはもう読めなくなっています。

 

店の告知ポストには、今も追悼や困惑のリプライが止まりません。

ところが、タイムラインに集まったのは静かな哀悼の言葉だけではありませんでした。

「名前のクセが強すぎて話が入ってこない」と戸惑う声ばかりで、「名前のインパクト」に気を取られ、訃報が頭に入らない人が続出したのです。

「なぜそんな過激な名前をつけていたの?」と誰もが疑問に思いますよね。

そして夫婦の破局も事務所を離れることになった経緯も、この5文字が引き金を引いていました。


訃報を出したのは東京砂漠だった

第一報は、9月15日の午後1時39分に店舗のアカウントから投稿された1枚の画像でした。

そこに写っていたのは新宿・歌舞伎町のバー「東京砂漠」の名前で出された文書で、突然の知らせへのお詫び、遺族からの連絡、密葬の報告、そしてこれまでの感謝が綴られています。

芸能人の訃報なら「まずは所属事務所からのお知らせ」が出るものですよね。

ただ、彼女は数年前に事務所を離れて無所属で動いていたので、こういうときに正式なプレスリリースを出す会社がもうなかったのです。

最後の知らせを出したのは、彼女が夜な夜な立っていた歌舞伎町のカウンターだったというわけで。


死因も亡くなった場所も書かれていない

亡くなった詳しい理由は、今も伏せられたままです。

どこで息を引き取ったのか、最期の様子がどんなだったのかも文書には一切なく、書かれている事実は「9月9日に遺族から店へ連絡が入った」という短い一行だけ。

しかも身内だけの密葬と明記されているため、応援していたファンには手を合わせる場所すらありません。

だからリプ欄には、いまも「嘘でしょ?」と受け入れられない声が溢れかえっています。

本人のSNSも鍵垢に変わっていて、生前の生々しい言葉は外部から読めなくなりました。

彼女との思い出を辿る手がかりが、一枚ずつシャッターを下ろしていくようですね。


消えた交通事故の投稿

そしてもう一枚、シャッターが下りました。

店の告知から一日ほど経ったころ、生前の彼女と共演したことのある女性タレントが、追悼の投稿を書いています。

突然のことに衝撃を受けた、という書き出しに続けて、「まさかの交通事故で」と、ひと言だけ理由に触れていました。

店も遺族も伏せてきた部分が、仕事で隣にいた人の側から出てきた形になります。

 

ただ、そこに書かれていたのは、暴露と呼べるようなものではありませんでした。

撮影で疲れているはずなのに「ロケバスで膝枕させてくれる本当優しい子」だった、という思い出。

コスプレのイベントで近くの席になったとき、一緒に撮った写真が最後の一枚になってしまったこと。

そして「また一緒にお酒飲みたかったです」という、行き場のない一行。

並んでいたのは、そういう話ばかりでした。

「まさかの交通事故で」と書かれた共演者の追悼投稿(現在は削除)

共演したことのある女性タレントの投稿より(写真は外して文面だけを載せています)。

 

ところが、この投稿はもう読めません。

いまURLを開いても「このコンテンツを表示できません」と出るだけで、投稿から数時間のうちに、人目に触れない場所へ引っ込められています。

消した理由はどこにも書かれていないので、こちらで決めつけるわけにはいきません。

それでも、遺族も店も理由を伏せている最中だったことを思えば、書いたあとで手が止まった人の動きに見えます。

 

では、ほかに裏づけがあるのかというと、9月16日の時点では見当たりません。

大手メディアの記事にも、本人のWikipediaにも、死因にあたる記述はまだ一行もないままです。

もちろん、店が出した文書にも書かれていません。

つまり「交通事故だった」という話は、公式にはまだ一度も確かめられていないのが、いまの現在地というわけです。

知り合いがいちど書いて、すぐに引っ込めた一行。

確かなのはそこまでで、その先は誰にも分かりません。


名前が強過ぎて訃報が入ってこない

追悼のコメント欄で異様なほど目立っていたのが、彼女の珍妙な活動名。

「この名前に絶句した」と言葉を失っている人が何人もいて、そこから先が書けなくなっているんですね。

ネットの困惑をそのまま代弁したのが、この短い一文でしょう。

故人を偲ぶお知らせというのは、普段の投稿よりも静かに受け止められるものですよね。

ところが弔文にこの強烈な文字が入ると、視線が釘付けになって「亡くなられた」の一行まで頭に入らなくなるわけです。


ネタでしょ?と疑う返信も並んだ

「強烈すぎる名前」に戸惑う人の次に多かったのが、死の事実そのものを疑う書き込みでした。

「ネットのブラックジョークでしょ」と突っぱねる人もいれば、短く呆れるだけの人も。

ネットには嘘の訃報がいくらでも流れていますし、こういう名前で回ってきたら「悪質な釣りでは?」とまず疑ってしまうのが自然な反応でしょう。

9月にXから訃報が広がったセクシー女優の倉木華さんのときも、正式な報道が出るまでは丸一日、半信半疑のままでした。

ただ今回は、雇い主の店が遺族からの連絡まで明記していて、当初は疑っていた人たちも、出どころを知ると静かに手を合わせ始めたんですよね。


膣ギロチンは俳句を詠むときの名前だった

この名前、単なる酒場のノリでも、SNSのバズ狙いで思いついた芸名でもありませんでした。

彼女はタレント活動と並行して歌舞伎町の句会で腕を磨く俳人でもあり、「膣ギロチン」はそのときの俳号だったのです。

Wikipediaにも、グラビアアイドルという肩書きと並んで「歌舞伎町を拠点に活動する俳人」と書かれていますし、個人のXでも「膣ギロチン(白鳥あわ)」と、まったく違う二つの活動名を同列に並べていました。

そう考えると、返信欄でいちばん正直だったのは、この人かもしれません。

「意味不明だけど冥福は祈る」と、戸惑いながらも線香をあげるような距離感。

ただ、この名前は笑い話では終わらず、後に彼女のタレント活動も私生活の結婚も、この強烈な5文字に翻弄されていきます。


サイゼで喜ぶ妻を投稿したのは元夫

もうひとつの世間を騒がせた愛称のほうは、本人の意思とまったく無関係に付けられたものでした。

発端は、2022年2月8日にイラストレーターのクレハさんがTwitterへ投稿した、ファミレスではしゃぐ女の子を描いた1枚のイラスト。

そして、ネットで定期的に勃発する「初デートでファミレス論争」の火種になり、瞬く間に大炎上します。

SNSで「庶民的な女アピールか」と反発を呼び、「#サイゼで喜ぶ彼女」のタグからは、有名人も一般の人も同じ構図を再現するパロディ投稿が続出しました。

そのブームに悪乗りした当時の夫が、食事中の彼女の写真を「サイゼで喜ぶ妻」として晒し、これが大バズりしたのでした。

「あの写真の女は自分です」と本人がインタビューで打ち明けたのは、2年半も後の2024年、日刊SPA!の取材でのことです。

ネット記事の見出しに書かれた離婚の時期は、2024年の春のことですね。

ネットの大炎上を「写真の当事者」として、誰にも言えず一人で見つめていたわけです。


本人だと2年半誰も気づかなかった

あれだけ拡散された写真なのに、2022年2月から2024年9月までのあいだ、誰も本人にたどり着かなかったのは奇跡的です。

当時の取材で、本人はこう振り返っていました。

「すごいバズりましたね。顔をスタンプで隠した状態だったんですが、デビューしてからも、その正体が私だとわかるファンはいませんでした」

ネットで話題になった半年後、彼女は田口あわの名前でグラドルとして世に出ているので、お祭り騒ぎと本人のグラビア活動が、2年半も「同一人物」と結びつかなかったことになります。

今回の訃報をきっかけに「あの時の人だったの?」と気づいた人も。

そして正体を明かした直接の引き金も、結婚生活の終わりでした。

「元夫との離婚」がネットに漏れてしまったため、それなら自分から真相を明かそうと腹をくくったそうです。


三重県津市から23歳で上京しデビュー

生まれたのは1998年5月12日、三重県津市で、20代前半までは地方で普通の暮らしを送っていました。

2021年の結婚を機にパートナーの都合で上京し、東京での生活が始まります。

そのときの気持ちを、本人は「せっかく東京に行くならグラドルになりたい!と思って。旦那も反対しなかったし、年齢的にも当時23歳とかで、デビューするならばラストチャンスかなって」と話していました。

 

2022年9月、芸能事務所に身を置き、田口あわの芸名で水着の仕事へ。

翌年にはイメージDVDを2本、VR作品を2本と、映像作品を立て続けに世に出しました。

事務所を離れて白鳥あわへ改名したあとも、夜の店で働きながら芸能活動にしがみついています。

2024年12月にはインタビュー番組『街録ch』へ出演し、ネットの心ない言葉に傷ついた過去を生々しく語りました。

あの写真が広まってから番組に出るまでが2年10か月ですから、顔も出せないまま誹謗中傷に晒され続けた月日は、気が遠くなるほど長かったはずです。

芸能界に足を踏み入れてから、まだ4年しか経っていません。


膣ギロチンはダメでしょーと言われた

ここから、自分で名乗った過激な俳号が、彼女の芸能生活の歯車を狂わせていきます。

まず、所属していた芸能事務所に対して、既婚者であることをずっと隠していました。

理由は「やっぱり、グラドルって結婚していたらダメだろうなと思っていたので」というもので、このあたりの空気は「アイドルは恋愛・副業禁止という暗黙のルールを言語化してみた」という記事にもまとめています。

そのうえ本業に加えて、事務所には秘密のまま夜の飲食バイトまで始めるわけですが、内緒の夜職は3ヶ月で発覚してしまいます。

本人いわく「バレないだろうと思っていましたが、いきなりマネージャーさんがこの店に乗り込んできました」。

 

そして現場に駆けつけたマネージャーが放ったのは、呆れ果てた怒声でした。

「バイトをするのは仕方がないし、反対はできないけど、『膣ギロチンはダメでしょー!』って」。

激怒した理由は「水商売の副業」ではなく、名乗った俳号の方だったんですね。

秘密の既婚歴、無断の副業、そしてあの強烈すぎる活動名。

ここで会社との信頼関係が崩れ、そこへ最後の決定打が重なって、彼女は所属を離れることになります。


離婚を切り出したのは夫でお金が理由

事務所との亀裂に追い打ちをかけたのが、私生活での破局でした。

あのバズを生んだ夫婦関係は、2024年の春にあっけなくピリオドを打ちます。

メディアの取材に対して彼女が明かした内情は、とても切実なものでした。

「元旦那がリボ払いとか、いろいろお金の使い方にだらしないところがあって。私がバイト代で返しているような状態でした」。

無駄遣いを咎めたところ、相手から返ってきたのが「お金を自由に使えないなら離婚しよう」という言葉だったそうで、「私としては、離婚はしたくなかったのでびっくりでした」とも話しています。

突然の別れ話にショックを受け、彼女は心身ともにボロボロになってしまいます。

「撮影会やイベントに行く支度はできているのに、外に出ると涙が止まらなくなったり、歩けなくなっちゃったり」という状態で現場に行けなくなり、このドタキャンが退所の決定打になりました。

結婚する前の彼女は、別の交際相手のもとで暴力を受けていたと、同じインタビューで話しています。

そのうえで、元夫のことをこう言っていました。

「もう復縁はないし、未練もないです。でも、今でも彼は私の中では王子様なんです。軟禁状態で毎日殴られていて、どん底だった私を救ってくれた唯一無二の人」。

ネットでオモチャにされたあのバズ写真は、彼女にとっては恩人である元夫との大切な思い出だったわけです。


歌舞伎町ではちーちゃんと呼ばれていた

SNSや週刊誌のフィルターを通して見えていたのは、彼女のほんの一面に過ぎません。

いっぽうで、歌舞伎町の店で彼女に会っていた人たちは、まったく違う呼び方をしていました。

「ちつちゃん」と、少し違う縮め方で呼んでいる人も。

ほかにも、シールを交換する約束をしていた人や、お笑いの話とくだらない話をして楽しかったと書いた人がいて、ネットの人がギョッとする過激な名前も、常連客たちの間では親しみやすい呼び名になっていたのです。

東京砂漠へ来週行く予定を立てていた人

サイゼリヤの話題を集めているアカウントが、こんな返信を書いていました。

先月、体調がすぐれなくて店へ行くのをやめた人もいます。

訃報を知ったその日に、ちょうど久しぶりに店へ行こうとしていた人まで。

決まった曜日に決まった場所へ立つ人が亡くなると、「いつでも会える」と後回しにしていた常連たちの約束が、まとめて果たせなくなってしまうのだと思います。

 

死因のほうは、いまも公式には何ひとつ出てきていません。

はっきりしているのは、9月9日という日付だけです。

彼女には2つの名前がありました。

他人が付けた「サイゼで喜ぶ妻」と、自分で選んだ「膣ギロチン」です。

最初の名前は、本人の意思とは関係のないところで4年ぶんの騒ぎを連れてきました。

自分でつけた強烈な俳号は、仕事も結婚も動かしたあげく、最後は自身の死を告げる邪魔までしています。

それでも歌舞伎町では、その名前を縮めて親しげに呼ぶ人が、ちゃんといたんですよね。

亡くなられた田口あわさんのご冥福を、心からお祈りいたします。