昼下がりの部屋で、玄関の鍵が回る音がしました。

家にいた女性が振り向くと、聞き慣れた男性の声が響いたそうです。

「誰や、誰が来とんや!」

9月2日の昼12時、週刊文春の電子版に1本の記事が出ました。

見出しは「ソフトバンク・ドラフト1位投手が暴行・中絶トラブル」。

その日のうちに、Xには「内容怖すぎる」「こわーい」「ドン引き」という短い言葉が並びました。

 

ただ、怖かったのは大暴れした場面ではなかったように思います。

その手前にある、たった一行のほう。

回収していなかった合カギで、部屋に入ってきた——。

この一行は、プロ野球選手の話ではなく、鍵の話です。

そして鍵の話なら、どこの家にもあります。

合カギで入ってきて持ち出された包丁

報じられているのは、こういう話です。

週刊文春が9月2日に電子版へ出した記事で、雑誌としては2026年9月10日号にあたります。

出来事があったとされるのは、7月4日の昼下がり。

 

マンションで、家主の女性が玄関の鍵が開く音に気づきます。

入ってきたのは、その前日に別れたばかりの元交際相手だったそうです。

玄関に置かれていた女性の友人男性の靴を見て、部屋に入るなり罵声を浴びせたとのこと。

そのままキッチンへ行き、包丁を手にして「殺すぞ」と言ったと書かれています。

 

ここで前に出たのが、家主の女性でした。

泣きながらその包丁を取り上げて、段ボールにしまったそうです。

それでも収まらず、友人男性は殴られ、首を絞められ、顔を何度も殴られたと報じられています。

止めようとした女性のほうも振り払われて、階段で転んだとのこと。

 

そして元交際相手の女性は、警察に被害届を提出したとのことでした。

届け出があったのは、8月に入ってからだそうです。

見出しには「2人の元カノが連続告発」とも書かれています。

 

名前は、ソフトバンクの村上泰斗投手。

被害を受けたとされる方は一般の女性なので、そちらはこの記事でもこれ以上具体的に触れません。

合カギでも不法侵入

鍵を持っていた人が入ってきた場合、それは不法侵入になるのか。

ここが、いちばん誤解されているところだと思います。

刑法130条は、こういう条文です。

「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する」。

 

この一文に、鍵という言葉は一度も出てきません。

書いてあるのは「正当な理由がないのに」と「侵入し」だけ。

見られているのは、鍵を持っていたかどうかではなく、住んでいる人が入ってよいと言ったかどうか。

元恋人であっても、以前ふたりで住んでいた部屋であっても、そこは同じ。

鍵は入る権利ではなくて、ただの道具。

 

条文にある「拘禁刑」は、まだ耳慣れないかもしれません。

2025年6月1日から、それまでの懲役と禁錮がひとつにまとめられました。

明治40年に刑法ができてから、刑の種類が変わったのはこれが初めてだそうです。

 

暴行は刑法208条で、2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金。

脅迫は刑法222条で、こちらも2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金と決まっています。

殴られていなくても、脅かされた時点でひとつの罪になる、という並びです。

事件になる前でも#9110で相談できる

警察庁が毎年出している統計があります。

令和7年、つまり去年のストーカー相談は22,881件で、前の年より16.9%増えていました。

被害者と加害者の関係でいちばん多かったのが、交際相手(元交際相手を含む)で38.9%。

配偶者は6.1%、面識のない相手は8.8%ですから、桁がひとつ違います。

 

検挙の内訳も残っていました。

ストーカー事案で検挙された2,171件のうち、いちばん多いのが住居侵入の437件です。

脅迫が292件、暴行が159件、傷害が153件。

いちばん先に立件されているのは、殴ることではなく、入ってくること。

「まだ何もされていないから、警察には行けない」。

玄関の前に立たれても、鍵を返してもらえなくても、そのくらいでは相手にされないだろうと自分のほうで決めてしまうやつですね。

警察相談専用電話の「#9110」は、そのための番号です。

110番と違うのは、事件や事故になっていない段階でも、たとえば鍵を返してもらえないというだけの話で相談できるところ。

 

令和7年に「警察本部長等の援助」の申出を受理したのが8,373件。

これは、事件として立件するのとは別に用意されている枠で、被害を防ぐ方法を教えたのが2,281件ありました。

事件にならないと動いてくれない、と思って黙っている必要は、たぶんありません。

合カギは返してもらっても遅い

文春の記事は「回収していなかった」と書いていました。

だったら別れるときに返してもらえばよかった、という話になりそうです。

けれど、この考え方には穴があります。

合カギが何本作られたかは、誰にも分かりません。

1本渡したはずが2本になっていても、渡した側からは見えないまま。

しかも最近は、鍵そのものを持っていなくても複製されることがあるそうです。

鍵に刻まれた「鍵番号」だけで作れてしまうため、管理会社の社員をかたって番号を聞き出す手口まで報じられていました。

 

返ってきた本数を数えても、それは安全の証明になりません。

鍵は、返してもらうものではなく替えるもの。

面倒な結論ですけれど、数えられないものを数えようとするよりは確実です。

 

賃貸のお部屋なら、勝手に交換しないでください。

先に管理会社か大家さんへ連絡します。

国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」にも、入居者が入れ替わるときの鍵の取替えについて「物件管理上の問題であり、賃貸人の負担とすることが妥当」と書かれていました。

鍵の交換は、住んでいる人の几帳面さの話ではありません。

物件を管理する側の仕事として、もともとそこに置かれています。

家のほうでできることは、そんなに多くないはずです。

  • 合カギを返してもらう(ただし、本数は数えない)
  • 管理会社か大家さんへ連絡して、鍵の交換を相談する
  • オートロックの暗証番号を変えられるか聞いてみる
  • 郵便受けのダイヤルを変える
  • 相手が置いていった荷物は、部屋に上げずに玄関の外で渡す

ぜんぶやらなくて構いません。

危ないのは、一つ目だけで止まっているところ。

交際の1カ月後に妊娠していた別の女性

9月8日の夜8時すぎ、週刊文春の公式アカウントが、7月4日の件でもう一行を出しました。

暴行の話だけではなかった、という中身です。

元交際相手のA子さんの言葉として、こう書かれていました。

文春オンラインによると、A子さんが交際を始めたのは2025年の6月です。

その1カ月後というと、2025年の7月。

7月4日に鍵が回るより、まる1年前の話ということになります。

 

最初の見出しにあった「2人の元カノが連続告発」の、もう1人のほうですね。

報じられているところによると、この女性は10代。

2024年の9月に1か月ほど交際して別れ、2025年の4月にまた会い、その7月に妊娠が分かったとされています。

 

妊娠を伝えたときに返ってきたのが、この2つの言葉でした。

「隠し子とか世間にバレた瞬間ほんまの意味で終わる」。

「産むとか正直選択肢に入れやんといてほしい」。

そのあと30万円が振り込まれ、女性は中絶したと書かれています。

出てきているのは、7月4日よりどんどん前の日付です。

7月4日の一日を切り取った話ではなくなっているのは、たしかだと思います。

2か月かかって動いた傷害罪の捜査

9月15日、続きが出ました。

殴られた友人の男性が、文春の取材に答えています。

「頭を殴られ過ぎて、当日はどうやって帰宅したのかまったく記憶がありません」。

2日ほど記憶が曖昧で、1週間は頭痛と腫れが続いたそうです。

2か月たったいまも、アザと痛みは残っているとのこと。

この方は入ってきた相手にまずフルネームで名乗って、「落ち着いて話をしましょう」と声をかけています。

刺激しないように振る舞ったけれど、聞く耳は持ってもらえなかった、と。

 

そして記事の見出しに、こうありました。

警察からは「傷害罪として捜査を進める」と伝えられた、とのことです。

その場で110番して現行犯にならなかったのはなぜなのか、という声もあります。

文春によると、家主の女性は地元の警察署の生活安全課へ、DVとストーカーの被害として相談していました。

そのうえで中央警察署へ被害届を出しています。

殴られた男性も、同じ署へ届け出たそうです。

その日に手錠がかからなくても、2か月かけてここまで来ました。

 

もうひとつ、7月4日より前の話も出ています。

今年2月に、この女性は左腕を強く掴まれて、整形外科で左上腕圧挫傷と診断されていたそうです。

破局した7月3日の、5か月も前になります。

球団は9月3日に「本人が代理人弁護士を通じて対応しております」と答えていました。

9月15日は「選手や関係者のプライバシーに関する事項として、個別の事実関係も含め、コメントは差し控えます」だけです。

2週間で、言葉はむしろ短くなりました。

本人の言葉は、まだ出ていません。

怖いのは回収していなかった合カギ

この記事でいちばん怖いのは、やっぱりこの一行だと思うのです。

7月4日の昼下がりに、鍵が回りました。

でも、その鍵が相手の手に渡ったのは、その日ではありません。

鍵の話が始まったのは、別れた日のほうでした。

 

報道が出た日にXでいちばん見かけたのは、「もったいない」という言葉。

でもその主語は、いつも惜しまれる側です。

被害を届け出たと書かれている人は、その文の中にいません。

 

そして別れ話の場で「鍵、返して」と言うのは、たぶんいちばん言いにくい一言です。

もう終わったことを蒸し返すようで、相手を泥棒あつかいするようで、口に出せないまま流れてしまう。

回収していなかったのは、うっかりではなくて、たいていはそういう理由だという気がします。

 

ずいぶん前に、こんな投稿を見つけました。

元交際相手から逃げている最中の人が、合カギを送り返せたことを「自分から踏み出せた第一歩」と書いています。

鍵を1本返すだけのことに、怖かった、という言葉が付いていました。

この先どうなるかは、まだ分かりません。

捜査がどこへ行くのか、球団が本人をどうするのか、それは続報を待つしかないところです。

ただ、あの一行を読んで、自分の家の玄関を思い浮かべた人はけっこういたはず。

あの鍵、まだあの人が持ってるかもしれない、と。

思い出した今日が、いちばん替えやすい日なのかもしれません。