「死亡事故が起きると、遺族が祭りの関係者に謝って回る」

2026年10月10日、泉佐野市と泉大津市で同じ日にだんじりが1基ずつ倒れ、男性2人が亡くなり16人がけがをしたあと、Xにはこんな話が「だんじりの闇」として次々に書き込まれました。

寄付を断れば村八分、家や車を壊されても自腹で直す、高校の中で「花代」と称してお金を取られる、新しく開いた店には高い協賛金を求める。

確かめようのない話も混じっていますし、地元からは、事情も知らない外野が口を出すな、という反論も返ってきています。

けれど、2002年の岸和田では、若者が亡くなった数日後の寄合で、事故の説明もないまま祭りの順番を決めるくじ引きが始まったという記録が残っているのです。

1台で億単位かかるだんじりと花代

だんじりは、大阪府の南部を中心に、町ごとに1基ずつ持っている木造の山車。

提灯をともして夜の町を進むだんじり
提灯をともした夜のだんじり(この記事に出てくる話とは関係ありません)/写真:Si-take.(Wikimedia Commons・CC BY-SA 3.0)
  • 持ち主=神社でも市でもなく町会(その地域の住民でつくる会)
  • 重さ=4トンほど
  • 新しく造るお金=1億円以上とも言われる
  • 直すお金=数千万円をかけた例も(2023年・堺市)
  • お金の出どころ=町の家や店から集める「御花(おはな)」、いわゆる花代
  • 曳く人=町の男たちが年齢ごとにつくる会。10代後半から20代は「青年団」

1億円を超えることもある山車を走らせ、壊れれば直し、いずれ造り直すお金の多くを、町の家や店から集めているわけです。

その集金が、祭りに出ない家や、だんじりに興味のない人のところにまで回ってくる町もあるようです。

「和泉ナンバーには気をつけろ」と言われる泉州

だんじりが走る泉州(せんしゅう)は、大阪市との境を流れる大和川より南、堺市から和歌山県の手前まで続く大阪府の南部です。

泉州の車の多くがつける「和泉ナンバー」には、大阪の中で昔から決まった印象がついて回ります。

運転が荒い。

大阪の北のほうに住む恋人からそう言われた、という人の投稿には、地元側の言い分まで詰まっています。

大阪では「大和川を越えたら…」と、川を境に南は別の世界のように言われてきたそうです。

和泉ナンバーの車が本当に荒いことを示す数字は見当たりません。

 

県外の人が泉州と聞いて思い浮かべる顔を決めたのは、1996年に公開された映画『岸和田少年愚連隊』かもしれません。

岸和田で育った作家の中場利一が自分の少年時代をもとに書いた小説が原作で、ナインティナインの2人が、けんかに明け暮れる岸和田の不良少年を演じました。

ガラが悪く見えて、地元の人に言わせれば情に厚い。

怒らせたら怖い、そんな泉州のイメージの真ん中に、毎年、町じゅうで4トンの山車を全速力で走らせるだんじりがあるわけです。

「岸和田だけが本物」と下だんじりの誤解

今回の事故のあと、地元の中では言い合いまで起きています。

この投稿には、すぐに「岸和田も下だんじりですよ」という返信が相次ぎました。

外から見ていると、どれも同じだんじりに見えますよね。

だんじりには、まず形の違いがあります。

  • 下だんじり(岸和田型)=泉州に多い。大きく重く、勢いよく角を曲がる「やりまわし」はこの形の持ち味
  • 上だんじり=河内や大阪市内などに多い。担ぐための棒でまわりを囲み、比較的軽い

そして、それとは別に、いつ・どこの祭りかという違いがあります。

  • 9月の岸和田だんじり祭=岸和田城の城下の22町。テレビでよく流れる、いわゆる「本場」。下だんじり
  • 10月の岸和田市の祭り=同じ岸和田市でも、山手(海から離れた内陸側)の地区。下だんじり
  • 10月の泉州各地の祭り=泉佐野・泉大津など。下だんじり。今回の事故はここ
  • 河内や大阪市内などの祭り=上だんじりが多い

「本場」と呼ばれるのは9月の城下の祭りのことで、10月の祭りには岸和田市の町も入っています。

9月の岸和田と、今回の泉佐野や泉大津との違いは時期と場所で、どちらも同じ下だんじりを、同じやりまわしで走らせているんです。

 

近年は堺など、もともと上だんじりを曳いていた地域でも、下だんじりに替える町が出てきました。

前テコ(前の車輪を止めて向きを変えるための棒)までつけて角を曲がる岸和田の走り方は、昭和のころ周りの町で「アタオカ(頭がおかしい)」と言われていた、という地元の人の声もあります。

重くて速い岸和田型が周りへ広がり、事故が起きると、本場は事故を避ける練習をしている、よその町とは違う、と線を引く声まで出る。

けれど、その本場の岸和田でも、2002年には本番前の練習中に23歳の青年団員が亡くなっています。

本物と偽物に分けたところで、4トンの山車を人の力だけで角に突っ込ませていることは、下だんじりを曳くどの町でも同じです。

300年の伝統と昭和に変わった走り方

「伝統」と言われるだんじりですが、どこまでが昔からの形なのかは、地元の人のあいだでも言い分が分かれています。

これに対して、走るのはずっと昔からだ、と言い返す地元の人もいます。

祭りの始まりは江戸時代でも、いまの形と走り方には、それぞれ別の始まりがあります。

  • 1703年か1745年=岸和田の祭りの始まりとされる年(説が分かれる)
  • 1785年=泉大津から買った大きな地車が城門を通れず、岸和田で造り替えられたのが、いまの岸和田型の始まりとされる
  • 1958年=けんかの元になるすれ違いをなくすため、曳く道が一方通行に。やりまわしが祭りの中心へ
  • 1959年=「走らない」ことなどを曳く条件にし、破れば曳行を差し止める方針が出される
  • 1963年=岸和田駅前で、各町がやりまわしを順番に見せる「パレード」が始まる
  • 昭和の終わりごろ=テレビなどで紹介されるようになり、全国に知られる祭りに

交差点の角を勢いよく曲がるだんじりを真上から見たイラスト

2002年に地元のタウン誌の取材に答えた人は、「昔の練習はランニングだけだった。いつのころからか、やりまわしの練習になった」と話し、だんじりが新しく造られるたびに大きくなっていることも事故の一因ではないか、と口にしていました。

 

「走るな」という条件が出た4年後に、走りながら角を曲がる姿を観客に見せる場ができ、そこからやりまわしは祭りのいちばんの見せ場になっていきました。

条件が出たあとも走ることは止まらず、けんかや転倒の事故は続いたと、この時代を調べた2017年の社会学の論文は書いています。

危ない走り方は、300年前から受け継がれてきた形というより、見せる祭りになってから磨かれてきた形だったのです。

2023年のルポには、だんじりの事故の場面だけを集めた映像まで売られている、と書かれています。

倒れる瞬間までが、見どころとして出回ってきたわけです。

同じ年表を並べて、こう書いた人もいます。

「伝統だから変えられない」と言われているものの中には、角へ全力で突っ込む今の走り方のように、昭和の中ごろからの70年ほどで形づくられた部分も混じっているのです。

「昔はゆっくり曳いていた」と「江戸時代から走っていた」が、どちらも本気で言われているのは、そのせいかもしれません。

「半強制」と言われる花代とノルマの噂

2023年11月に岸和田などの祭りの町を取材したルポライターによると、だんじりのある町は、もともと自治会費(町会費)が他の地域より高めに決められていることが多く、それとは別に「お花代」「花寄せ」と呼んで、家々を回って寄付を集めに来るそうです。

払うと、お返しにタオルとうちわがもらえる。

町内の祭りの寄付を頼まれ、白い封筒を手に困った表情の女性のイラスト

取材に答えた地元の人は「払いたくない人は払わなくて良いはずなのに、半強制的なんですよね」とこぼし、偉そうな態度で集めに来る人も多いと話していました。

断りづらいもう1つの理由として挙げていたのが、お金を集めて回る人にもノルマがあるらしいということです。

 

集めに来るのが、だんじりと関係のない隣の地域にまで足を延ばす、未成年に見える団員だという声もあります。

新しく開いた店に高い協賛金を求め、断った店の前でだんじりを暴れさせた、断った家が仲間外れにされた、という話も地元の人の投稿には出てきますが、事件として報じられたものはありません。

そのうえ、集めたお金を何に使ったのかは、外からほとんど見えません。

寄付と呼びながら断りにくい形で集め、使い道も見えないお金なら、「カツアゲ」と呼びたくなるのも当然ですよね。

泉佐野市の補償制度で「対象外」のだんじり

家や車を壊されても自腹、という話で気になるのが、事故のときの補償の仕組みです。

泉佐野市には、町会や自治会の行事で人にけがをさせたり物を壊したりしたときに備えた「町会等公益活動災害補償保険」という市の制度があり、清掃活動や運動会、防犯パトロールなら使えます。

ところが、その「対象とならない事故」の一覧に、危険度の高い活動として「だんじり」が名指しで書かれているのです。

同じ扱いで並んでいるのは、ピッケルを使うような本格的な山登り。

 

そのため、だんじりを出す町や祭礼団体は、けがや壊したものに備える保険を自分たちで探してかけるしかありません。

その保険料や、保険で足りない修理代、けがをした人へのお見舞いまで、集金で埋めることになるという声もあります。

町が自分たちでかけた保険も、出る場面は限られます。

2002年の岸和田で練習中に若者が亡くなったときは、保険が決められた曳行(えいこう)の時間の中の事故にしか出ないため、一切支払われなかったと地元のタウン誌が伝えていました。

 

では、保険で埋まらないとき、被害を受けた人はどうなるのか。

今回とは別の事故ですが、2014年10月、兵庫県三田市の神社の祭りで、だんじりが境内の建物にぶつかり、1人が亡くなり16人がけがをしました。

運行を指揮していた男性2人は翌年、業務上過失致死傷の罪で罰金。

けがをして仕事を休んだ女性は、自分で裁判を起こしました。

 

神戸地裁がその2人と地元の自治会に1359万円の支払いを命じたのは、事故から7年後の2021年10月です。

けがをした人が判決を手にするまでに、7年。

今回の泉佐野と泉大津の事故でけがをした16人の補償がどうなるのかも、まだ伝えられていません。

だんじりの事故でけがをした人が判決を得るまで7年かかった例と、市の補償の対象外・保険は曳行の時間だけ・訴える相手は近所と町会という3つの事実

死亡事故のあと寄合で詫びた町の代表

遺族が謝って回るという話には、地元からこんな声も上がっています。

遺族が謝って回ったという報道は、ありません。

そのかわり、事故のあと誰が誰に頭を下げたのかを書き残した記録があります。

2002年は、9月の岸和田だんじり祭が始まって300年の記念の年でした(1703年を始まりとする説で数えた年)。

先に触れた練習中の事故で23歳の青年団員が亡くなった数日後の9月1日、各町の代表など100人を超える男たちが集まり、祭りの順番を決める「三郷(さんご)の寄合」が開かれています。

 

集まったほかの町の男たちの前で、事故を出した町の代表が神妙に詫びた。

けれど、取材したタウン誌によると、事故がどう起きたのかの説明はなく、同じ事故を防ぐための話し合いも議題に上らないまま、会はすぐに順番を決めるくじ引きへ移っていきました。

亡くなった若者の葬式には、町会や青年団、祭りを取り仕切る若頭(わかがしら)の人たちが香典を集めて持っていきましたが、両親は納得しておらず、裁判にもなりかねない空気だったと書かれています。

岸和田には「祭りの日には葬式を出さない」という噂まであります。

葬式そのものはできるものの、祭りの日を避けて日取りをずらす家が多い、と地元の葬儀社は書いています。

 

事故を出した町が祭りを休むことについて、2002年に地元の人は「昔は事故があると、十年くらいは自粛するという雰囲気だった」と話しています。

2023年のルポでも、人が亡くなると「翌年、その町が祭に参加できない」などのペナルティがあるそうだと書かれていました。

翌年なのか、十年なのか、決まりとして書かれたものはありません。

 

両親が納得できずにいるあいだ、記録に残っている謝罪の場は、祭りを一緒に動かすほかの町の男たちの前でした。

事故を出した町が祭りを失うかもしれない空気の中で、亡くなった人の家族が肩身の狭い思いをさせられているのではないか、と疑う人が出るのは当然だと思います。

それでも、遺族の声が表にまったく出てこない、という疑問は残ります。

声を上げようとしたとき、責任を問う相手が誰になるのかを考えると、その重さが見えてきます。

9月の岸和田だんじり祭は、行政も観光協会もほとんど口を出さず、スポンサーもなく、祭礼団体が自分たちで運営し、警備まで受け持つ祭りです。

事故が起きたときに責任を問われるのも、町会長などが務める総括責任者と、その日の曳行を任された曳行責任者だとされています。

三田の裁判で訴えられたのも、運行を指揮した2人と地元の自治会。

家族を亡くした人が責任を問おうとすれば、その相手は、毎年同じ祭りを曳く人たちと、だんじりを出した町会そのものになるのです。

「パワハラという概念はない」と書かれた青年団

青年団は年上の言うことが絶対、という話は、地元の人の言葉からも見えてきます。

だんじりの町では、10代後半から20代の青年団の上に、卒業した人たちの「組」、祭りを取り仕切る「若頭」、運営を受け持つ「世話人」と、年齢ごとの段が続きます。

2002年に、岸和田で育った女性が地元のタウン誌に話したところでは、青年団は上下関係がとてもはっきりしていて、高校3年生になってから入っても、ビール運びなどの下っ端から始めなければならないそうです。

 

2019年にだんじりの町を取材したスポーツ誌の記事には、「パワハラ、という概念はない。」という見出しが立っていました。

練習に来られない若者がどう扱われるかを書いた投稿もあります。

2002年の岸和田では、練習中の事故、本番前の試し曳き(試験曳き)での横転、本番中の熱中症で、1年のうちに3人が亡くなりました。

取材した記者は、曳いている人の体調の判断が「すべて個人任せ」でいいのだろうかと書き残しています。

 

その年、地元ではこんな言い伝えも口にされていました。

「午年は昔から暴れ馬といって何か事故があると言われています。今年もやっぱり暴れ馬やなあ、とみな言ってました」

2002年は午年でした。

そして今年2026年も、12年ごとに巡ってくる午年で、しかも60年に一度の丙午(ひのえうま)にあたります。

言い伝えに根拠はありません。

それでも、人が亡くなっても「年回りが悪かった」で話が終わってしまうなら、その一言もまた、事故を誰の責任にもしないための便利な言い訳になってしまいます。

 

祭りのあとの青年団の飲み会についても、コンパニオンとして呼ばれたという人がこう書いています。

どこの町の、いつの話かは書かれておらず、警察の発表や報道で確かめられる話でもありません。

祭りのあとの打ち上げは、地元では「直会(なおらい)」と呼ばれることもあります。

直会はもともと、神事が終わったあとに神前へ供えたお酒や食べ物を下げて、みんなでいただく席のことです。

神様に供えたものを分け合う席の名前が、飲み代が花代から出ることもあるという打ち上げにも使われている。

「伝統」や「神事」という言葉が、外から中身を問いにくくする覆いになっている、と感じる地元の人もいます。

「花代出してから物申せ」という地元の反論

だんじりへの批判が広がるたびに、地元からはこんな反論が返ってきます。

2023年4月に堺市でだんじりが倒れて11人がけがをしたときも、その瞬間の動画を上げた人に「消して」と迫る返信が相次ぎました。

安全対策を求める声に、「生命至上主義へのアンチテーゼがだんじり祭なんですよ」(命を何より大事にする考えへの反発こそがだんじりだ、という意味)と返す人もいました。

 

花代を出していない外の人には「出してから物申せ」と言い、出している住民の側からは、使い道が見えないという声。

出せと言うのなら、使い道も見せるのが筋ですよね。

そして、走り方を変えるのも、祭りをやめるのも、決められるのは、花代を集めて祭りを動かしている町と祭礼団体の人たち自身です。

住んでいるだけで寄付と我慢を求められる側は、こう書いています。

遺族の謝罪回りや村八分は記録には残っていませんが、事故の説明や花代の使い道を町の外へ見せないまま「伝統」でくくってきたことが、そうした噂を本当だと思わせているのではないでしょうか。