2026年9月5日の夜、岐阜県本巣市(もとすし)のケーキ店が燃えました。

2階では、店主の女性と中学時代の同級生たちが同窓会をしていたそうです。

9月11日には入院していた店主の女性も亡くなり、犠牲になった人は4人になりました。

県警は殺人と放火の疑いで調べています。

その4人のうちのひとりが、この会に招かれていなかった70歳の男性で、岐阜県瑞穂市で葬儀会社を経営していた人です。

事件の数日前から、この人がガソリンを何度も買っていたことも分かっています。

買うときに申告した使い道は「草刈り機の燃料」。

 

そして事件そのものより、この人のことを調べる人が急に増えました。

世界最大の数珠。

1995年の北朝鮮への渡航。

デヴィ夫人との長い交流。

そして自著に書き遺していた「前世の因縁」という一文。

 

今回は、この70歳がどんな人だったのかを、出どころのはっきりしたところから順番に並べていきたいと思います。


9月5日の夜に店の2階で起きたこと

まず、その夜に分かっていることから。

  • 2026年9月5日の午後9時ごろ、岐阜県本巣市のケーキ店「さんらいず」の店舗兼住宅から出火
  • 110番通報は「人が刺された。ガソリンをまいている。火事になっている」
  • 1階がカフェと店舗、2階が住まいで、そこに計11人がいた
  • 焼け跡から男女2人の遺体。ほかに3人が病院へ運ばれ、そのうち2人が亡くなった(残るひとりはいまも重い状態)
  • 亡くなった4人=1階で腹部を刺された同級生の男性(66)、2階にいた同級生の女性(65)、駐車場の車内で大やけどを負っていた瑞穂市の葬祭会社役員・林寛至(70)、そして店主の女性(66)
  • 9月9日に焼け跡の2人の身元が判明=どちらも本巣市に住む店主の同級生で、自営業の男性とパートの女性だった
  • 9月11日の午後、入院していた店主の女性が死亡。刺し傷などの目立った外傷はなく、死因は調べている最中
  • 鎮火まで約3時間

 

司法解剖の結果も出ています。

刺された同級生の男性は腹部の傷による失血死、同級生の女性は急性一酸化炭素中毒。

男性の傷は腹部を貫通していて、大動脈まで達していました。

正面から刺されたとみられる、と毎日新聞が伝えています。

林は駐車場の車の中で大やけどを負った状態で見つかり、運ばれた病院で亡くなっています。死因は熱傷性ショックでした。

 

ここは報道が何度も動いたところなので、順番に書いておきます。

最初の数日は、亡くなった3人のうちのひとりが店主だと伝えられていました。

9月9日に身元が分かって、焼け跡の2人はどちらも同級生のほうだと判明します。

店主の女性のほうは助け出されて、そこから6日間、病院にいたのです。

そして9月11日の午後、その人も亡くなりました。

 

時事通信によると、この11人のうち林以外の10人は、全員が店主の中学の同級生です。

中日新聞によると、この集まりは2017年ごろに店主の女性が声をかけて始まったものでした。

年に1回ほどのペースで、カラオケへ行ったりボウリングへ行ったり。

7年前に同じ店で撮られた集合写真も残っています。

当日は閉店後にマージャンをしていた、と参加者が話しているそうです。

従業員には、店主がその日の集まりを楽しみにしている様子だったとも伝えられています。

60代の同級生が、年に一度、閉店後の店に集まって卓を囲む夜。

そこへ、呼ばれていない人が来ていたことになります。


葬儀会社の社長のプロフィールと経歴

報道と、本人が書き残したものから拾えるのは、このあたり。

  • 名前=林寛至(70)
  • 住まい=岐阜県瑞穂市
  • 会社=株式会社富士の代表取締役。1993年設立で、葬祭部門の屋号が「富士葬祭」
  • 事業=葬祭業のほかに、し尿の汲み取りや運搬を引き受ける一般廃棄物の収集運搬業も手がけていた
  • 所在地=岐阜県瑞穂市田之上
  • 地域の役職=重里地区の自治会長を4年、社会福祉協議会の評議員、祭礼の世話役
  • 宗教=僧侶になるための得度(とくど)を受けたうえで、宗教法人の代表も務めていた(文春オンライン)
  • 著書=『人麻呂(ひとまろ)のシグナル』(文芸社・2024年7月)に「韻山鐘九」という筆名で1章を寄稿
  • 交友=デヴィ夫人と2000年ごろからの知り合い
  • 前職=若いころにクリーニング会社へ勤めていた時期がある

 

年表にすると、こうなります。

  • 1993年 株式会社富士を設立
  • 1995年 興味本位で北朝鮮へ渡航(自著より)
  • 1999年7月 世界最大の数珠を造り始める(自著の書き出し)
  • 2000年ごろ デヴィ夫人と知り合う
  • 2024年7月 共著『人麻呂のシグナル』を刊行
  • 2026年9月5日 本巣市のケーキ店で火災
  • 2026年9月7日 富士葬祭が業務を休止(15日再開の予定)

この投稿で触れられているのは、会社が公開していた供養の動画です。

人形供養や遺品供養を受け付けていて、代表がみずから読経していました。

「葬儀屋の社長さん、坊さんやったんか」という反応が広がったのは、たぶんここが元でしょう。

並べてみると、肩書きの種類がわりとはっきりしています。

葬儀、自治会、社会福祉協議会、祭礼。

どれも地元で人から頼まれる側の役目ばかりです。

言い換えるなら、断りにくい立場から人と関わる仕事。

 

頼まれる側の役目をこれだけ抱えていた人が、同級生だけの集まりには呼ばれていませんでした。

人から頼られる場所はこれだけ埋まっていて、同級生のところだけが、ぽっかり空いていたことになります。


1999年から造り始めた世界最大の数珠

この数珠の話の出どころは、本人が書いた文章でした。

私は1999年7月から世界最大の数珠を造り始めました。

 

この一文が、2024年に出した本の中の、自分の章の書き出しでした。

葬儀の仕事をしている人が、仕事とは別に巨大な数珠を造る。

それだけなら少し変わった趣味の話で終わったはずですが、どれくらいの大きさだったのかは、報道にも本人の文章の紹介にも出ていません。

ところが造ったあとで、あまりに大きすぎて受け入れてくれるお寺が見つからなかったのです。

納める先がないまま、数珠だけが手元に残る。

 

そこで頼ったのが、宗教関係者のつながりでした。

文春オンラインによると、林は造った数珠を納める場所を相談するために「愛と平和を語る会」という集まりを立ち上げ、そこへ岐阜の有力な僧侶たちが顔をそろえたそうです。

 

数珠ひとつを納めるために、会をひとつ作ってしまう。

思いついたら最後までやる人だった、とは言えそうです。


デヴィ夫人と長良川に浮かんだ鵜飼船

その集まりに、デヴィ夫人が参加していました。

知り合ったのは2000年ごろ。

納め先を探して宗教関係者を訪ね歩くうちに、この風変わりな企てそのものが目にとまったようです。

親睦の場に選ばれたのは、長良川の鵜飼船(うかいぶね)でした。

川に船を出して、僧侶たちとデヴィ夫人を招く。

間に入っていたのは、千日かけて山を歩き続ける修行をやり遂げた、岐阜・高賀山(こうかさん)の僧侶だったとされています。

ここまでの流れを、もう一度並べてみます。

岐阜の葬儀会社の社長が巨大な数珠を造り、納め先を探すために会を作り、その会にデヴィ夫人が来て、鵜飼船で会食する。

ふつうに暮らしていて、こういう並びにはなかなかなりません。

ここまで並ぶと、裏に何かあるのではと思いたくなります。

その気持ちは、正直よく分かるのですが。

 

ただ、いま出ている材料のなかに、これらと事件をつなぐものはありません。

数珠を造り始めたのは1999年、デヴィ夫人と会ったのは2000年ごろ。

そこから2026年9月5日の夜までのあいだに、線を引ける事実はまだ何も示されていないのです。


自著に書き遺した「前世の因縁」

そしてもうひとつ、林が書き残した本があります。

書名は『人麻呂のシグナル 「いろは歌」『万葉集』、そして四国に隠された真実』。

文芸社から2024年7月に出た、245ページの共著でした。

 

著者として並んでいるのは、釈正輪、崔无碍、そして韻山鐘九(いんざんしょうきゅう)の3人です。

そのうちの3人目が、林の筆名にあたります。

 

本そのものの中身は、いわゆる古代史ものです。

「いろは歌」と『万葉集』を韓国語で読み解くと別の意味が浮かび上がる、という説を、共著者の僧侶が論じています。

 

そのなかで林が書いた章の題が、「消された古代史・神々の誓約」でした。

題は古代史でも、中身は幼いころからの日々を振り返った半生記だったそうです。

数珠を納める旅のことも、ここに入っています。

北朝鮮へ渡ったのは1995年です。

理由は、ほかの日本人が行けない国へ行ってみたかったから。

入国のときには、当時「日本のレーニン」と呼ばれていた運動家を頼った、と本人が書いています。

 

そして、この半生記の最後に置かれていたのが、いま拡散している一文でした。

私たちは遠い前世から何かの因縁で全ての行いが決められている。

この一文が重く読まれているのは、たぶん書かれた場所のせいです。

思いつきをどこかへ投稿したのではなく、半生を振り返った文章の、いちばん最後。

そこに、すべては前世で決まっているという一文を置いて本を閉じています。

 

ただ、ここは慎重に読みたいところでした。

書かれたのは2024年で、事件の2年前です。

因縁というのは仏教のふつうの用語でもあって、得度した人が半生記の締めに使うこと自体は、それほど珍しくないはず。

 

それでも引っかかるものが残るとしたら、たぶん「全ての行いが決められている」のほうでしょう。

自分の行いを、自分の外側へ預けてしまう書き方です。

この一文をどう受け取るかは、読む人によって変わると思います。


なぜ一度帰って戻ってきたのか

事件のあった夜へ話を戻すと、報道が「2つの謎」と呼んでいたものがありました。

ひとつは、林寛至がこの会合に呼ばれていなかったこと。

もうひとつは、その林が店内ではなく駐車場の車の中で見つかったことです。

ただ、いちばん引っかかるのは、そのどちらでもありませんでした。

捜査関係者の話として時事通信が書いていた、この一行のほうです。

 

林は後から合流したとみられ、一度店を離れたあと、再び戻ってきたとみられている。

 

招かれてはいないのに途中から加わり、しかも一度は帰っているのです。

その場でかっとなって、では説明のつかない時間が、あいだに挟まっています。

 

そして焼け跡からは、ガソリンなどを入れる携行缶と、複数の刃物が押収されました。

県警はこれらが凶器の可能性が高いとみて調べています。

いま出ている情報を並べるかぎり、この事件でいちばん重いのは「一度帰った」の5文字だと思っています。

 

もっとも、林寛至が何をしたのかは、まだ確定した話ではありません。

救助された人が「葬祭会社役員が人を刺し、火をつけた」と話している、と中日新聞が報じているところまで。

県警も、林が事件に関与した可能性もあるとみて調べている、という段階にとどまっています。

 

林と店主の女性は、数年前から交際していたと当初は伝えられていました。

お互いの子どもたちも公認の間柄だった、とも報じられています。

ちなみに、林を含めた11人のあいだにトラブルがあったという相談は、警察には届いていません。

外から見えるかたちでは、何も起きていなかったはずなのです。

 

ところが、その「外から見えないところ」は、事件の数日前まで延びていたのです。


数日前から何度も買っていたガソリン

9月10日に分かったのは、そのガソリンの出どころでした。

捜査関係者への取材として、CBCテレビが伝えた内容です。

  • 林は事件の数日前から、自宅近くのガソリンスタンドに携行缶を持ち込んでいた
  • 買ったのは1回ではなく、複数回にわたっていた
  • 申告した使用目的は「草刈り機の燃料」

警察は、このガソリンが放火に使われた可能性もあるとみて調べています。

 

この一報で多くの人が引っかかったのは、たぶん買えてしまったことのほうでしょう。

2019年の京都アニメーションの放火事件のあと、ガソリンの売り方そのものが見直されて、消防法の決まりが変わりました。

2020年2月から、ガソリンを携行缶で売るときには本人確認と使用目的の確認が義務づけられています。

身分証を見せて、何に使うのかを言う。

その手順自体は、今回も踏まれていたはずです。

 

踏まれたうえで、「草刈り機の燃料」の一言で通っていました。

では、この決まりはどこで止めるためのものだったのでしょうか。

草刈り機やチェーンソー、発電機や小型の船にガソリンを使う人は、田舎でも街でもいくらでもいます。

決まりがこれ以上きつくなったとき、いちばん先に不便を引き受けるのは、たぶんこの人たちでしょう。

 

ただ、この決まりは嘘を見抜くための仕組みではありませんでした。

誰がいつ、どこで買ったのかを後からたどれるように、記録を残しておくための仕組みです。

実際、その記録が残っていたからこそ、いつ何回買ったのかを警察は後からたどれました。

 

けれど、読む側が知りたいのはそこではないと思うのです。

あの場で止められたのではないか、というほうが先に来ます。

ここが埋まらないから、義務の話を読んでも気持ちが収まりません。

 

もうひとつ動いたのは、買ったタイミングのほうでした。

買ったのが当日ではなく、数日前からだったこと。

そして、1回では終わっていなかったこと。

 

これが何を意味するのかを決めるのは、私ではありません。

ただ、少なくとも「たまたまその日に持っていた」という形ではなくなりました。


逃げ場を失った同級生は屋根へ向かった

ここまで、亡くなった70歳の話ばかり。

けれど、この事件でいちばん理不尽な思いをしているのは、その場にいた同級生たちのほうです。

 

CBCの報道によると、火は店舗と住居をつなぐ階段のあたりが激しく焼けていました。

2階にいた同級生たちは1階へ降りられなくなり、屋根の上へ向かったとみられています。

建物は2階建てで、広さはおよそ300平方メートル。

階段がひとつ使えなくなった時点で、その夜の逃げ道はほとんど残っていません。

火が出た家で屋根へ上がるという選び方を、ふだん考えたことのある人がどれだけいるでしょうか。

 

結果として、1階では男性が腹部を刺されて亡くなり、2階では女性が一酸化炭素中毒で亡くなりました。

どちらも、店主の中学の同級生です。

 

助け出された2人も、軽い状態ではありませんでした。

ひとりは両手足のやけどに加えて、熱い空気を吸い込んだことによる気道熱傷(きどうねっしょう)。

大学病院の集中治療室で24時間体制の治療が続いている、と家族が週刊文春に話しています。

 

店主の女性がどこで見つかったのかは、報道が二通りに分かれたままです。

店の外の田んぼで倒れていた、というのが弟の話でした。

駆けつけたときに救急隊から聞いた、として週刊女性PRIMEに答えています。

一方で9月12日には、激しく燃えていた2階で見つかって運ばれたとみられる、と東海テレビなどが伝えました。

屋根まで上がったのか、2階に残っていたのか、ここはまだはっきりしません。

ただ救急車に乗ったときは、やけどはあっても意識があり、ふつうに話せていたと言います。

富有柿(ふゆうがき)を使ったロールケーキで知られた店で、本巣市の根尾谷(ねおだに)にある淡墨桜(うすずみざくら)を見に来た人が帰りに寄る場所でもあったようです。

ケーキの種類が多かった、と書いている人が何人もいました。

その店へ、同級生たちは年に一度だけ集まっていました。

そしてあの夜、この人たちは何ひとつ選んでいません。

会場も日にちも決めたのは幹事役の店主で、同級生たちはただ声をかけられて集まっただけでした。

 

林と店主の女性をめぐる異性関係のトラブルか、と報じられています。

あとから分かったことが、もうひとつありました。

その夜そこにいた同級生のうち、店主のほかに林と顔見知りだった人はいなかったと、週刊女性PRIMEが伝えています。

 

つまり、その関係の外側にいた人たちが、逃げ場のない2階に取り残されたわけです。

この事件を「痴情のもつれ」の一言でまとめてしまうと、いちばん大きな被害を受けた人たちのことが、どこにも残りません。

9年かけて続けてきた同窓会が、こんな終わり方をしたのです。


ふたりの出会いは店主の夫の葬儀だった

その同級生のひとりが、9月11日に週刊文春の取材へ答えました。

まず語られたのは、恩師まで招いて開かれた同窓会がきっかけだった、という集まりの成り立ちです。

その2次会で使ったのが「さんらいず」で、そのとき集まった13人でLINEのグループを作りました。

年に一度と伝えられていましたが、メンバーが定年退職してからは回数が少し増えていた、とも話しています。

店主の女性は、そのたびにケーキを安くして振る舞っていたそうです。

 

場所を貸していたのではなく、自分の店で、自分の作ったものを安く出していた。

迎える側の役目を、ずっと引き受けていた人だったのでしょう。

 

店主の女性は、夫と死別しています。

その夫の葬式を執り行ったのが、林の会社でした。

そこから接点が生まれ、仕事の付き合いもできたと同級生は話しています。

夫を見送る日に、その式を取り仕切る側にいた人。

 

葬儀を頼む側と、葬儀を受ける側。

その関係がのちに、交際と呼ばれるものへ変わっていきました。

どちらがどう近づいたのかまでは、同級生も話していません。

 

ふたりをつないでいたのは、気持ちの話だけではありませんでした。

「さんらいず」は林の会社が持つ会員組織の提携店になっていて、会員は買い物が1割引きになったと示現舎が伝えています。

葬儀の縁から始まったものが、店と会社のあいだにも線を引いていたわけです。

 

同級生が知っているのは、始まりの日までなのだと思います。


事件の前日にも店を訪れていた

そして9月12日、林が事件の前日にも店へ来ていたことが分かりました。

しかも、ひとりで訪れていたそうです。

前の日に来て、翌日の夜にも来て、しかも途中で一度帰ってから戻ってきたことになります。

 

同じ日、岐阜新聞はこのふたりの関係を、別の言葉で呼んでいました。

林は店主の女性に付きまとっていた疑いがある、というのです。

1日のうちに何度も店へ来ていた日もあった、とも伝えています。

 

事件の直後に流れていたものと、並べてみましょう。

あのころ伝えられていたのは「数年前から交際していた」という一行でした。

いま出ているのは「付きまとい」と「トラブル」です。

 

同じ関係を指す言葉が、途中で入れ替わりました。

どちらが実際に近いのかを決めるのは、私ではありません。

ただ、交際というのは二人でするものですが、付きまといはひとりでもできてしまいます。

そこだけは、意味がはっきり違うはずです。

 

そして「痴情のもつれ」という言い方が落とすのは、同級生たちのことだけではありませんでした。

被害に遭った側にも半分くらい事情があったような響きが、この言葉には混じります。

もし付きまといのほうが実際に近いのなら、その響きはまるごと的外れだということになるでしょう。

亡くなった人は、もう自分でそれを訂正できません。


知人が語る人物像がまるで一致しない

事件から1週間のあいだに、林を知る人の話がいくつも出てきました。

ところが、それが同じ人の話には見えないのです。

 

週刊文春の取材に答えた知人は、こう話しています。

葬祭業だけでなく、変死体の回収のような、人が避けたがる仕事も積極的に引き受けていた。

売上は右肩上がりで、性格は「金持ち喧嘩せず」の通り。

いつもどこか余裕があって、どっしりとなんでも話を聞いてくれる人だった。

1500万円ほどのクルーザーを持っていて、「妻が釣りをしに行くのに使っている」と話していたこともある。

年下の妻を「かあちゃん、かあちゃん」と呼んで大事にしていたが、その妻とは早くに死別している。

 

この話だけを読むと、人が引き受けたがらない仕事を黙って背負う人という像が浮かびます。

自治会長や祭礼の世話役を重ねていたことも、この線の上にきれいに乗るのです。

 

ところが岐阜新聞は、複数の知人の言葉として「親分肌、怒りやすい」と伝えました。

示現舎の取材にも、同じ向きの証言が出ています。

2年前に地元で鳥インフルエンザの処分場を造る計画が持ち上がったとき、住民説明会で県の職員に「上司を連れて来い」とすごい剣幕で怒鳴っていた、という近所の人の話です。

その人は「最初は怖い印象だった」とも振り返っていました。

 

もっとも、同じ場面を別の住民は違うふうに読んでいます。

処分場を造るなら自分の会社に仕事を回せ、と言うこともできたはずなのに、そうはしなかった。

自治会長として地域を守ろうとしていたのではないか、と。

 

穏やかだったと言う人と、怒りやすかったと言う人が、同じくらいいます。

どちらかが嘘をついている、という話ではないでしょう。

人は相手によって違う面を出すものですし、70年ぶんの顔がひとつで済むはずもありません。

 

経歴のほうは、そのあともまだ増えました。

示現舎によると、林の亡くなった妻は、のちに連合赤軍へつながる組織で議長を務めた人物の姪だったそうです。

その人物は服役したあと大垣市で実家のし尿収集の仕事を継ぎ、業界の要求運動を率いる存在になりました。

バキュームカーを連ねて県庁や市役所へ押しかけた、という時代の話です。

林も若いころ、その運動に加わったひとりだった、と同誌は書いています。

 

読むと、また一本つながったような気持ちになるかもしれません。

ただ、これは妻の親族の経歴であって、9月5日の夜そのものを説明する話ではないのです。

報じているのも、いまのところこの一誌だけでした。

数珠やデヴィ夫人と同じ棚に、もう一本増えたと考えるのが、たぶん正確なところだと思います。

 

それでも、はっきりしていることがひとつだけあるのです。

この人は、追い詰められていた人ではありませんでした。

会社は順調で、弟たちもそれぞれ会社を持ち、地域の役職をいくつも抱えていた人です。

 

ここ数年、こういう事件が起きるたびに「もう失うものが何もない人だった」という説明が使われてきました。

今回は、その説明がまったく当てはまりません。

失うものなら、数えきれないほど持っていた人です。


動機を語れる人が誰もいなくなった

この事件に闇を感じる理由は、経歴の奇妙さだけではないと思います。

あの店で何があったのかを語れる人が、ひとりも残らなかったからです。

関与が疑われている本人が亡くなっています。

裁判も開かれません。

被疑者が死亡している場合、事件は書類送検を経て不起訴で終わるので、法廷で動機が語られる場面は、この先も来ないでしょう。

 

それでも、ふたりのあいだに何があったのかを話せる人は、ひとりだけ残っていました。

林といちばん近いところにいたのが店主の女性で、地元でも「本人がいちばん事情を知っているのでは」と言われていた人です。

 

その人も、いなくなりました。

病院で意識が戻ることは、最後までなかったそうです。

事件の背景を解明するのは困難になった、と各社がそろって書き、岐阜新聞は「真相の究明難航」という見出しを打ちました。

 

だから、闇を感じている人の感覚は、大げさでも何でもないと思っています。

もやもやが晴れないのは、読み方が足りないからでも、疑いすぎだからでもありません。

物のほうは分かっても、人のほうが分からないからです。

 

ガソリンをいつ、どこで、何回買ったのか。

それは記録が残っていたので出てきました。

前の日に店へ来ていたことも、まわりへの聞き取りで分かっています。

スマートフォンの解析からも、これから何か出てくるでしょう。

物からたどれる範囲は、まだ広がるはず。

 

けれど、なぜ一度帰って戻ってきたのかは、そこからは出てこないはずです。

その部分だけは、最後まで空白のまま残るのかもしれません。

数珠も、北朝鮮も、デヴィ夫人も、前世の因縁も、たぶん全部この人が本当に通ってきた道でしょう。

通ってきた道をどれだけ集めても、動機は出てこないのです。

ここが、この件のいちばんきついところだと思います。

 

2026年8月に横浜で19歳の娘さんが亡くなった事件でも、逮捕された70歳の父親は「殺すつもりはなかった」と話しています。

納得できるかどうかは別として、少なくとも本人の言葉は出てきました。

今回は、そこすらありません。

 

だからこそ、埋まらないところを想像で埋める前に、動いている事実のほうを覚えておきたいのです。

呼ばれていなかったこと。

数日前から、何度もガソリンを買っていたこと。

前の日にも来て、その夜は一度帰ってから、また戻ってきたこと。

そして、その場にいた人たちには、逃げる方向を選ぶ時間すらなかったこと。

 

県警の調べは、いまも続いています。

ただ、この4つだけは、これから何が出てきても動きません。

 

火事から1週間が過ぎた店の前には、たくさんの花が置かれています。

店主の女性のことを、知人は「明るくて熱心な人だった」と話していました。

亡くなった4人のご冥福を、心からお祈りいたします。

そして、まだ病院にいるひとりが、どうか戻ってこられますように。