2026年9月11日、VIVANTで別班の司令官を演じているキムラ緑子さんが、自分のインスタグラムで謝罪しました。

「私の投稿ですごいたくさんの方々が嫌な気分になって本当にごめんなさい」という書き出しの、短い文章でした。

 

きっかけは、その5日前の9月6日に書いた投稿です。

外国人の強制送還について、東京入管を名指しで批判する内容でした。

ところが、話はこの謝罪で終わっていません。

南京大虐殺と朝鮮人虐殺のくだりは、報道が引用しないまま9月6日の投稿の後半に書かれていたのです。

安倍元総理を撃った山上被告を「山上くん」と書いた過去の投稿も、そのあと次々に掘り出されています。

 

日曜劇場でいちばん日本を背負っている役の人が、それを書いていた——という順番で話は広がっていきました。

同じ投稿でも、別班の司令官を演じていなければ、ここまで広がっていません。

役と本人の落差そのものが燃料だったのです。

Xを眺めていて多かったのは、怒鳴るような怒りよりも、「残念です」という言い方のほうで。

カッコいい女優さんだと思っていたのに、と。

それが9月12日を境に、落胆では済まなくなりました。

 

形ばかりの謝罪はすでに出ています。

それなのに読んでも気持ちが晴れないのだとしたら、理由は謝り方の丁寧さとは別のところにあります。


9月6日に投稿された入管への抗議

2026年9月6日、キムラ緑子さんは自分のインスタグラムに、東京入管への強い言葉を書きました。

日刊スポーツが伝えているのは、次のような文面です。

 

「嫌です、いやです 航空券も買って帰国すると言っている家族をいきなり強制送還させる、東京入管」

「家財道具もそのまま、身一つで送還させられたクルド人家族とスリランカ家族。子供たちは友達にさよならも言えなかったらしい。なんと悲しい別れだろうか」

 

この投稿は、その日の昼過ぎには芸能ニュースとして記事になっています。

見出しは「『VIVANT』最高司令官の64歳女優」でした。

ここで一つ引っかかるのが、役と本人を最初に並べて見せたのは、ネットではなく報じた側だったということです。

本人が書いたのは自分の考えだけで、VIVANTの話は一文字も出していません。

それでも記事の見出しは「最高司令官の女優」から始まっていて、読む人は投稿の中身より先に、日曜の夜に見ているあの顔を思い出す作りになっていました。

もとになった東京新聞の記事のほうも、同じころXで回っていて。

この報道をどう読むかで、すでに人は割れていたのです。

 

燃えるための材料は、この時点でもうそろっていて。

あとは誰かが火を付けるのを待つだけの状態でした。


東京新聞が伝えた強制送還の中身

そもそも、彼女が反応した出来事のほうを知らないという人も多いのではないでしょうか。

元になっているのは、9月上旬に東京新聞が出した記事です。

 

取り上げられていたのは、トルコ国籍のクルド人家族で、夫婦と学齢期の子ども3人の5人家族でした。

この一家は7月の時点で「帰国します」と入管へ伝えていました。

出国は9月の予定で、航空券も自分たちで買っていたそうです。

ところが8月の中旬、別の用事で入管へ出頭したその日に、そのまま国費で送還されてしまいます。

予定より1か月も早い、抜き打ちのような出国でした。

スリランカ人の家族も、同じ時期に送られていました。

記事のなかで、入管問題にくわしい渡辺彰悟弁護士は「航空券を買っていた人が強制送還された例は聞いたことがない」と話しています。

背景として名前が出ているのが、政府が進めている不法滞在者ゼロプランです。

国のお金で送り返す人数を、倍に増やすという方針で。

これまで国費での送還は、説得に応じない人だけが対象だったのに。

数字を達成すること自体が目的になっていないか——というのが、記事の投げかけです。

 

キムラ緑子さんが「嫌です、いやです」と書いたのは、この東京新聞の記事を読んだあとでした。


南京のくだりは投稿の後半にあった

9月6日の投稿には続きがあって、前半と後半でまったく別の話になっています。

謝罪が出たあとに一気に広まったのは、その後半のほうでした。

 

前半は、ここまで書いてきた入管への抗議です。

航空券を買っていた家族がいきなり送還された、子供たちは友達にさよならも言えなかった、なんと悲しい別れだろうか、と続きます。

そのあとに「不法滞在者ゼロプラン」への批判が来て、「こんなやり方、人間のすることか!」。

報道が引用していたのは、だいたいこのあたりまででした。

 

読んだ人が止まったのは、そこから先です。

「でも、この入管の人たちも普通の日本人なんだろう」と書いたあと、こう続きます。

 

「となれば、そりゃ南京大虐殺もするし、朝鮮人虐殺だってまちがいなく、したわな。するする。」

 

入管の職員も普通の日本人なのだから、日本人は虐殺だってするはずだ。

そういう順番で書かれているのです。

怒っている相手が、途中で入管から日本人そのものへ入れ替わっています。

ここを読んで「政策の話じゃなかったのか」と感じた人は、たぶんかなり多いはずで。

 

この部分を報じた記事が、無かったわけではありません。

東スポは9月11日に、「南京事件や関東大震災朝鮮人虐殺事件にも触れるなどし」と書いています。

ただし載っているのはその一行だけで、何と書かれていたかまでは出していません。

 

つまり「あとから掘り返された」という言い方は、この一文にかぎっては少しずれています。

本人が最初から公開して書いていたもので、消したものを暴かれたわけでも、隠していたものが出てきたわけでもないのです。

気づくまでに何日もかかったのは、引用されないまま記事になっていたからでした。

「画像の下の方まで観て下さい」という一行が、この数日を全部言い表していると思います。


退去強制令書はすでに出ていた

ところが、この報道が出た9月5日のうちに、別の角度からの指摘も並んでいて。

そちらも見ておかないと、なぜ投稿があれほど反発されたのかが分かりません。

この一家は6年前に来日していて、難民としては認められず、すでに退去強制令書が出ている状態でした。

法律のうえでは「いつ送り返されてもおかしくない」と決まっている人たちだった、ということです。

もっと踏み込んで、法律の原理原則のほうを指した人もいました。

そして制度の話をすると、自分で航空券を買って帰るのと、国のお金で送り返されるのとでは、あとの扱いがまるで違います。

強制送還という形で帰った場合は、決められた期間は日本へ戻れません。

自分のお金で帰った場合と比べて、制限は重くなります。

 

だから「航空券を自分で買っていた」という部分は、家族の気持ちの話であると同時に、もう一度日本に来られるかどうかの話でもあるのです。

東京新聞の記事は、そこには触れていなくて。

触れていないからといって記事が嘘だということにはなりませんし、逆に、入管のやり方が乱暴ではなかったという証明にもなりません。

 

どちらを重く見るかは、読んだ人が決めることだと思います。

ただ、この投稿が広く反発された理由のひとつは、はっきりしています。

片方の事情だけを読んで、片方だけを強い言葉で書いた——そう受け取られたのです。


別班の司令官・櫻井里美という役

キムラ緑子さんが演じているのは、櫻井里美という名前の別班の司令官です。

別班というのは、自衛隊のなかに表向きは存在しないことになっている諜報(ちょうほう)部隊、という設定で。

その一番上に座っていて、主人公の乃木憂助(堺雅人さん)たちへ指令を出す側にいる人です。

これは2023年、シーズン1が放送されていたころの投稿で。

着ている迷彩服の型から階級まで推理されていて、それくらい真剣に観られている作品なんです。

いまのシーズンでも、櫻井司令が何者なのかはみんな知りたがっていました。

役の設定ひとつで、ここまで話が広がる人物だということです。

 

数秒しかない続編の予告を止めて本編を当てにいく人たちについては、以前『VIVANTの考察が当たる人と外れる人の分かれ目』という記事にまとめました。

 

続編は2026年7月26日にスタートして、2クール連続で放送されています。

つまり今回の騒動は、まだ物語が終わっていない真ん中で起きたということです。

毎週日曜の9時に、その司令官がまた画面に出てくるのです。

これが、話がここまで大きくなった理由のひとつだと思います。


9月7日に出た「キャスティングミス」

芸能ニュースになった翌日から、話の中心は入管そのものではなくなっていって。

「あの役の人が、これを書くのか」という方向へ動いていきました。

9月7日には、キャスティングミスだろ、という言い方まで出ていました。

役者への評ではなく、選んだ側への抗議です。

なかでも「乃木、出番だぞ」という一行に、全部が出ているように思います。

これは政治の話をしたい人の言葉ではなくて、ドラマを本気で観てきた人の言葉です。

登場人物の名前が先に出てくるくらい、あの世界を毎週楽しみにしていた人でなければ、こういう書き方にはならないと思いませんか。

 

ただ、この見方が出てきたのは9月に入ってからではありません。

8月27日には、同じことを書いた投稿がもう出ています。

入管の投稿より、10日も前の話でした。

役と本人のずれは、9月を待たずにもう見えていました。

 

裏切られたように感じた人ほど、その作品を大事にしていた、ということでもあります。

興味のないドラマの俳優さんが何を書いていても、たぶん誰も半月も追いかけたりしないはずです。


過去の投稿が次々に掘り出された

9月8日ごろから、話はもう一段階進んでいきます。

入管の投稿だけではなく、それ以前に書かれていたものまで掘り返されるようになって。

矛先が変わった瞬間でした。

まず切り出されたのが、さきほどの後半の一文です。

9月6日の投稿の下のほうにあったくだりが、一枚の画像になって回りはじめました。

ほかにも「この国はとことん男尊女卑の国」といった文言が、同じように並べられていきます。

どれも、日本という国そのものへ向けた言葉として読まれました。

スクリーンショットに短い一言を添えて、そのまま次の人へ渡っていきます。

ただ、これらはいずれも本人のアカウントのスクリーンショットという形で広まったものです。

一件ずつ原文にあたって確かめた記事が出ているわけではないので、書かれた日も前後の文も画像からは分かりません。

そこは差し引いて読んでおきたいところです。

 

それでも広がり方が止まらなかったのは、掘る側にとってそれが難しい作業ではなかったからでしょう。

SNSは自分で消さないかぎり、書いた日から今日までのものが全部そこに残っています。

消し忘れではなく、ネットの仕組みそのもので。

1月に書いたひとことが、9月になって誰かの手で並べ替えられてしまう。

これは芸能人にかぎった話でもなくて、私たちが何年か前に書いた一言も、同じところに残ったままなのです。

 

掘られているのは、投稿だけでもありませんでした。

三浦春馬さんの最後の連続ドラマに出ていた、というところまで遡って並べられています。

ここまで来ると、もう投稿の中身とは別の話になってしまいました。

こうなると、昔の出演作まで一本ずつ見に行く人が出てきます。


「山上くん」という書き方

掘り出されたもののなかで、いちばん空気を変えたのは南京の一文ではありませんでした。

効いたのは、安倍元総理を撃った山上被告について書かれた投稿のほうで。

役とのギャップで火がついた話がここまで大きくなったのは、正直なところ「山上くん」の四文字があったからだと思います。

 

2026年1月21日、判決について彼女が「全く納得いかんわ」と書いていたことは、女性自身がすでに報じていました。

統一教会と政治の関係が裁判で明らかにならなかった、という趣旨の内容だったと伝えられています。

「山上くん」という書き方そのものは、スクリーンショットとして広まった投稿のなかにあったものです。

この一行を、演じている役と並べて見せる投稿がいくつも回りました。

判決に納得がいかない人がいるのは、分かる話ではあります。

ただ、引っかかったのは判決への意見ではなく、呼び方のほうでした。

人を撃った人に「くん」を付けている。

「まるで他人事だな」という冷めた距離感が透けてしまったのです。

 

これは思想が右か左かという話とは、少し違うところで起きています。

政治の立場がどちらであっても、あの日のことを覚えている人なら引っかかるところで引っかかった。

たぶん、そういうことなんです。


発信は1月から続いていた

今回の件を「うっかり口がすべった」と受け取っている人は、たぶんほとんどいないと思います。

その感覚は、報じられている中身を並べるとそのまま裏づけられます。

Xでも、経歴ごと一覧にした投稿が回っていました。

共産党の機関紙であるしんぶん赤旗に何度も登場しているとか、2009年に「非戦を選ぶ演劇人の会」に加わっていたとか、経歴の部分はネット上の指摘で。

そこは私のほうで裏を取れたものではありません。

ただし、女性自身が記事にしている分だけでも、時系列はかなりはっきりしています。

 

さきほどの山上被告の判決への投稿が、1月21日。

2月10日に「私の周りで今の政権をよしとする人は一人もいない」。

2月24日には攻撃用ドローンの導入方針に「殺傷能力のあるドローンを買うんだって!」。

3月8日には「財務大臣欠席で、予算委員会???なにしてんの?」と国会の運営に。

 

さらに3月17日には、新聞社の報道部長と会った話まで投稿しています。

「国会前アクションをなんで取材してくれないんですか?」と聞き、「25日は必ず取材してください」と念を押した、という内容です。

インスタで何をリポストしてきたかを、まとめて並べた人もいます。

つまりこれは一度の失言ではなく、年明けからずっと続いてきた発信だったわけです。

ずっと書いていたものが、9月になってVIVANTの名前とつながっただけなのです。


6月にはスポニチが記事にしていた

そしてもう一本、9月に入ってから読み返されている記事があります。

スポニチが2026年6月4日の朝に出した、「キムラ緑子 日々のニュースに思い『この日本が怖い』」という芸能ニュースです。

 

インスタの投稿をそのまま紹介した記事で、見出しにはもう一本「バラエティーノリの外交に、動揺が止まらない」と付いていました。

引用されているのは、外交のニュースを見て書いたという、こういう言葉です。

 

「この日本が怖いです、わたしは。もしも男性総理が同じ行動を取ったらどうでしょうか? どんな反応になるでしょうか? 女性だから、許される?」

 

つまり9月の炎上の3か月前に、同じ調子の投稿がもうスポーツ紙の記事になっていたわけです。

そのときはほとんど誰も反応しないまま、この記事は流れていきました。

燃えなかったのは中身が穏やかだったからではなく、VIVANTの続編がまだ始まっていなかったからです。

 

いまXで出回っている一覧は、だいたいこういう形をしています。

この3つ目に入っている「我が首相の韓国の李大統領」も、6月のその投稿から出たものです。

 

ただ、この一つだけは原文にあたると事情が少し違っていて、そのまま鵜呑みにはできません。

スポニチが載せている元の文は「我が首相の 韓国の李大統領や フィリピンのマルコス大統領とのエピソードには、胸のドキドキがとまりません」でした。

あいだの区切りが落ちて頭だけ切り出されると、韓国の大統領のことを「我が首相」と呼んだように見えてしまいます。

 

一覧が回りはじめてから原文を確かめる人は、そう多くありませんよね。

回している人が雑だという話でもなくて、一枚の画像は原文を連れてこないのです。

 

もっとも、それが分かったところで6月の記事の見出しは「この日本が怖い」のままでした。

「一度の失言ではないだろう」と感じていた人の見立ては、3か月前の記事でもう裏が取れています。


9月11日の謝罪が触れなかったこと

そして9月11日、インスタグラムに謝罪が出ました。

報じられている全文は、こうです。

 

「私の投稿ですごいたくさんの方々が嫌な気分になって本当にごめんなさい つらいわ 誰かを嫌な気分にさせるってほんとに 悲しいことです ごめんなさい」

 

そのあとに「ここに載せる写真がないので 尊敬する内田さんの記事にします」とつづって、思想家の内田樹さんの新聞コラムの写真を添えています。

結びは「みなさま、どうか お元気で安らかでいてください」でした。

内田さんは、政権に批判的な論考でよく知られた書き手です。

この1枚に引っかかった人は、やはりいました。

同じところで止まった人は、ほかにもいます。

謝罪が出たあとも、伸びていたのはこういう声のほうでした。

謝った文章をもう一度読むと、その理由が見えてきます。

 

謝られているのは「嫌な気分にさせたこと」だけなのです。

南京についても、山上被告の呼び方についても、間違いだったとは書かれていません。

取り消しますとも、考えを変えましたとも書かれていない。

 

ここは良い謝り方か悪い謝り方かという話ではなく、どこに向けて謝ったのかという話だと思います。

嫌な気分にさせたことへの謝罪は、嫌な気分になった人にしか届きません。

「そこじゃないんだけどな」と感じた人には、まだ何も返ってきていないのです。

 

だから「もう遅いよ」と書いている人たちは、決してわがままを言っているわけではありません。

謝罪文を受け取ったのに、自分が引っかかった部分だけ、そこに入っていなかった。

それを晴れないと感じるのは、ごく当たり前の反応です。


擁護する側も謝罪とは読まなかった

この謝罪文をめぐって、ひとつ不思議なことが起きています。

怒っている人と、かばっている人が、まったく同じ読み方をしたのです。

 

まず、怒っている側から。

謝ったという形は取っているけれど、添えた1枚のほうで言いたいことは全部言っている、という読み方です。

 

そして、かばっている側。

「和枝ちゃん」は、朝ドラ『ごちそうさん』で彼女が演じた意地悪な義姉のことです。

9月12日の投稿で、こう読んだ人はかばう側にもかなりいました。

 

言葉づかいは正反対なのに、たどり着いた場所は同じです。

あれは謝罪ではなく、返事だった。

 

そういえば謝罪文には、「私も こんな風に上手く言葉を使えたらいいのに」という一行もありました。

 

言い方が下手だったと反省している文にも読めますし、うまく言えないだけで考えは変えていないと言っている文にも読めます。

どちらに読むかは、たぶん読む人の立場で決まるのでしょう。

 

ただ、はっきりしていることが一つあって。

取り消されていないものは、いまもそのまま残っているということです。

だから「もう遅い」と書いている人は、蒸し返しているわけではありません。

終わっていないものを、終わっていないと言っているだけなんですよね。

役と本人は別だと言われても

今回いちばん多く見かけたのは、こういう気持ちだったと思います。

怒りというより、「残念だな」という落胆ですね。

そしてこういうとき、必ず出てくるのが「役と本人は別だ」という言い方です。

たとえば、こんなふうに。

言われてみれば、そのとおりなんです。

ただ、正論を先に置かれたところで、こちら側の気持ちはこう動いています。

思想そのものを責めているのではなくて、放送中にやらないでほしかったという言い方ですね。

 

役と本人は別だ、という言葉はたしかに正しいのですが、正しさは、いちど知ってしまった目を元に戻してはくれません。

来週の日曜、あの司令官が画面に出てきたときに、前と同じようには観られない。

そういう人が、たぶんかなりいます。

そう感じるのは気にしすぎでも心が狭いのでもなくて、人の記憶がそういうふうにできているだけなんですよね。

 

同じことは、実はこのドラマで8月にも起きていました。

阿部寛さんが昔いじめっ子だったのではないか、という話が蒸し返されて、阿部さんが演じる野崎という役の裏切りと重ねて語られました。

そのときの経緯は『阿部寛はいじめっ子だったのか』という記事にまとめました。

役の印象が強い作品ほど、俳優本人の話が作品に跳ね返ってくるのです。

 

もうひとつ、考えたことがあって。

「日本を愛する愛国者ではないの?」という声がありました。

でも、昔の俳優さんが今より愛国的だった、という話ではおそらくないのです。

今回のような騒ぎは、昭和のころなら起きようがありませんでした。

昔は知る手段がなかっただけで、政治の話をしている人はいくらでもいたはずです。

昭和の時代と比べて変わったのは、こちらに見える情報量です。

私たちは、知らないまま好きでいられただけなのかもしれません。

 

ただ、見えてしまった以上、見なかったことにはできませんよね。

「知らないままでいたかったな」と思ってしまうのが、この話のいちばんしんどいところです。

日曜9時をどう過ごすかは自由

Xでは降板を求める声も出ています。

ただ、続編は2クール連続で放送中で、撮影のほうはとっくに先まで進んでいるはずです。

謝罪から2日が過ぎた9月13日になっても、TBSからも所属事務所からもコメントは出ていません。

降ろす降ろさないより先に、こういう見方のほうが出ていました。

「ファンは減ったな」という一行が、たぶんいちばん現実に近いところですね。

降ろされることもなければ、なかったことにもならない。

そのかわり、「今週は録画でいいか」と思う人が静かに増えていくのだと思います。

 

彼女はNHKの『グレーテルのかまど』でかまどの声を15年近く続けてきた人でもあって、そちらも観なくなりそうだと書いている人がいました。

一本のドラマの話では終わらなかった、ということです。

そう決めた人の言い方は、意外なほど静かでした。

日曜の夜9時からの1時間を、来週どう使うか。

今まで通り家族で観るのも、「今期はもうパスしよう」とチャンネルを変えるのも、誰に責められる筋合いもありません。

 

「謝ったんだから水に流せ」なんて決まりもありません。

その1時間をどう過ごすかは、もともと自分で決めていいことですよね。