「ただし、例外として『小島よしお』と呼ばれることは許可します」。

2026年10月8日の朝、ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使がXに書いた一文です。

10月16日の朝には、TBSの情報番組『THE TIME,』でも「小島よしお呼びOK」として取り上げられています。

一国の大使が、自分の呼び名としてたった一つ許したのが、芸人・小島よしおの名前でした。

 

小島よしおが海パン一枚で「そんなの関係ねぇ!」と叫んで大ブレイクしたのは、もう19年も前の2007年のこと。

それなのに、いまも子どもたちの人気者で、CMにも出ていて、とうとう大使の投稿にまで登場しています。

どうして小島よしおは、一発屋で終わらなかったのか。

そして大使は、なぜ自分の呼び名にこの名前を選んだのか。


きっかけは首相への呼び捨て

あの一文が生まれたきっかけは、日本と中国のあいだの、少し張りつめたやりとりでした。

9月30日の記者会見で、中国外交部の報道官が高市早苗首相を、肩書きを付けずに呼んだと報じられたのです。

10月7日、日本の外務報道官は会見で「一国の指導者に対してしかるべき敬意を払うことは、国際儀礼上、当然のこと」と答え、外務省がその見解をXに載せました。

レジャバ大使は、その外務省の投稿を引用する形で、翌朝こう書いています。

相手の国の名前は一度も出さずに、「呼び捨て」という言葉だけを拾って最後の一行で笑いに変えたところに、思わず感心してしまいますよね。

 

しかもジョージアは、日本での呼び名を一度変えてもらった国でもあります。

日本政府は2015年4月から、この国の呼び方を「グルジア」から「ジョージア」に変えました。

ロシア語読みだった呼び名を英語読みに改めてほしいという、ジョージア政府からの要請を受けたものだそうです。

呼び名を大切にしてきた国の大使が、たった一つの例外にしたのが「小島よしお」でした。


エイプリルフールから3年半

大使と小島よしおが「似ている」という話は、大使のXをよく見ている人にはおなじみかもしれません。

レジャバ大使は1988年生まれで、4歳のときに初めて日本へ来て、日本で長く暮らしてきた人です。

早稲田大学の国際教養学部を出て、キッコーマンで働いたあとジョージア外務省に入り、2021年11月から駐日大使を務めています。

小島よしおも早稲田大学の教育学部の出身で、二人は同じ大学の先輩と後輩です。

 

二人がはっきり絡んだのは、2023年のエイプリルフールのこと。

4月1日の朝、小島よしおのXに「あれ、どっちが俺んだっけ?」という一文と、カラフルな海パン2枚のどちらにしようか迷っている男性の写真が載りました。

ところが写っていたのは、小島よしおではなくレジャバ大使。

同じ日、ジョージア大使館の公式Xには反対に、民族衣装チョハを着た小島よしおの写真が、大使の写真のようにして載っていたそうです。

翌2日、小島よしお本人がこう種明かしをしました。

2023年8月には、大使が自分を含む3人の写真に「左から小島よしお、カズレーザー、有田哲平です」と書き、いちばん左の自分を小島よしお、ほかの2人もそれぞれ芸人の名前で呼んでみせました。

2024年1月に大使が「おっぱっぴー」のポーズの写真を載せたときは、小島よしおも「そんなの関係ねえ! ナイスおっぱっぴー!」と返していたと、中日スポーツが伝えています。

「似ている」と言われるたびに、二人とも面白がって乗っかってきた3年半。

だから10月の一文は、その3年半の続きに書かれたものでした。


一発屋と言われた2007年

「一発屋」と聞いて、真っ先に小島よしおの顔を思い浮かべる人もいるかもしれません。

小島よしおは1980年11月16日生まれの45歳です。

  • 生まれは沖縄県の久米島町、育ちは千葉市
  • 早稲田大学教育学部を2006年に卒業
  • 所属はサンミュージックプロダクション
  • 大学時代は、仲間5人のお笑いグループ「WAGE」で活動

大学を卒業した2006年には、在学中に組んでいたお笑いグループ「WAGE」も活動を止めていて、本人は2020年の文春オンラインのインタビューで、そのころを「すべてを失ったんですよね」と振り返っています。

 

そこからひとりで舞台に立ち、名前が一気に広まったのが2007年でした。

海パン一枚で腕を振り下ろしながら「そんなの関係ねぇ!」と叫び、最後は「おっぱっぴー」で決める。

「そんなの関係ねぇ」はこの年の新語・流行語大賞でトップテンに選ばれました。

「おっぱっぴー」は、「Ocean Pacific Peace(太平洋に平和を)」の略だという説明でも知られています。

 

ただ、本人にとってはうれしいだけの年ではなかったようです。

同じインタビューで小島よしおは、ブレイクしていたころから「すぐに消える芸人」「一発屋」と言われ、「その言葉に抗うためだけに頑張っていたような気がします」と話しています。

そして「2008年頃から単独ライブでまったくウケなくなった」とも振り返っていて、仕事も減りはじめ、「このままではマズい」と感じていたそうです。

そこから何年もかけて小島よしおが選んだのは、子ども向けのネタ作りでした。

そのころを、あとからこう振り返った人も。

でも、その「迷走」に見えた道が、19年続く理由になっていきます。


客席の子どもが毎年変わる

きっかけは、先輩芸人からのひと言でした。

本人がインタビューで話したところでは、2011年のライブで先輩から「子ども向けにやってみたら?」と言われたのが始まりだそうです。

文春オンラインでは、その先輩を東京ダイナマイトの松田大輔だと明かしていて、うまくいくまでの試行錯誤は「5~6年続きました」と振り返っています。

多いときには1年に150本ほど、子ども向けのライブをこなしていたそうです。

ネットでは、その強さをこんなふうに言い当てた人もいます。

本人も2020年のインタビューで、舞台を子ども向けへ移したことについて「ステージを変えていくのがこれからの一発屋だと思っています」と話していました。

 

2020年の春、新型コロナで学校が休みになったときも、小島よしおは子どもたちに向けて動いています。

YouTubeで「おっぱっぴー小学校」を始め、図形や角度といった算数を、体を動かしながら教えるようになりました。

教育学部を出ていることを知っていた放送作家から「小島君が授業したら?」と言われたのも、背中を押したそうです。

2021年には『おっぱっぴー小学校 算数ドリル』(KADOKAWA)も出ていて、見ている親からはこんな声もあります。

笑いながら勉強まで見てもらえるなら、親にとってこんなにありがたい人はなかなかいませんよね。


呼んでいい名前になった

2007年の「小島よしお」は、海パン一枚で叫ぶ、どちらかといえば笑われる側の芸人でした。

それが19年たったいまでは、子どもの前に立って、悩みに答える人になっています。

ここ数年の仕事を並べても、子どもに向いたものばかりです。

  • 2023年9月 小学生の悩みに答える本『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)。2026年4月に続編
  • 2026年7月 リクルートのWeb CM「リズムネタリレー」のスーモカウンター篇に出演
  • 2026年9月 初めての日めくりカレンダー『小島よしおの毎日おっぱっぴー』
  • 2026年10月14日 ある小学校の創立120周年の式典で、子どもたちのお悩み相談とライブ

2026年8月には、小学生から「女性は歌舞伎俳優になれないの?」と聞かれて、すぐに「そういう疑問を持つことはすごく大切だね」と返した場面が、朝日新聞デジタルで紹介されました。

日めくりカレンダーにも、「戦わないという戦い方」「頑張れない気持ちも大切にする」といった、子どもに向けた言葉が並んでいます。

 

そんな19年を見てきた人の中には、こうまとめた人もいました。

2007年のころに「小島よしおに似てるね」と言われたら、からかわれたように感じた人もいたかもしれません。

でもいまは、その名前で呼ばれて嫌な気持ちになる人は、ほとんどいないはずです。

「小島よしお」は、笑われる名前から、呼んでもいい名前になった。

一発屋と言われながら19年、小島よしおは「そんなの関係ねぇ!」を、毎年はじめて見る子どもたちに届けてきました。

大使の一文が笑って受け取られたのも、その19年があったからということですね。